そうだ。われらは日本人だ。」 | 気宇壮大(四) 3

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚!
早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男はどのような人物だったのか?
幕末の佐賀藩に生まれ、明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への道筋を切り拓いた男の思想と生涯とは。
青年期から最晩年まで、「走る人」「闘う人」「創る人」「聞く人」として駆け抜けた、
令和版大隈像をお楽しみください。

 安房があきらめたように言う。

 「熊本藩の大砲は青銅砲のままで、砲台はいまだ少ないという」

 「仰せの通り。黒船が来航しても、熊本藩は派閥抗争を続けていると聞きます」

 それとは逆に、直正は弘化元年(一八四四))、藩に「火術方」を創設し、鉄製大砲の鋳造に乗り出した。それまでは鉄よりも融点が低く鋳造が容易な青銅製大砲が主力だったが、強い火薬にも耐えられる(遠くまで飛ばせる) 鉄製大砲の導入は海防上、必須だった。「火術方」は嘉永五年七月、試行錯誤の末、西洋の鉄製大砲に比肩するものを造り上げた。

 「つまりそなたは、『日本一體(体)一致の兵備』を行わない限り、海防に意味はなく、今のように諸藩が独立した組織である限り、それもままならないというのだな」

 「はい。すみやかに雄藩連合による公議政体に移行し、中央集権化を図り、国家が一丸となって富国強兵と殖産興業に邁進する以外に、外夷から日本を守ることはできません」

 この理論は、すでに諸藩の有志の間で唱えられていることで、神陽が創案したわけではない。これは現行の体制を維持しつつ、徐々に中央集権制に移行していくという漸進的な国家改造案であり、老中の阿部正弘も認めるところだった。

 「なるほど、やはりそなたは傑物だ」

 安房がため息交じりに言う。

 「それがしはいいとして、大隈のことですが—」

 突然、飛び出した自らの名に、大隈は驚いた。

 「この者は極めて優秀ですが、口が達者すぎます。此度はご迷惑をお掛けしました」

 「いや、わしの見えていなかったことを教えてもらい、たいへん役立った」

 「では、この者の言うような教育改革を実践いただけますか」

 大隈が息をのむ。

 「もちろんそのつもりだ。しかし事を急げば、反発する者も出てくる。それゆえ徐々に進めていこうと思う。とくに『文武課業法』は改めていくつもりだ」

 実際にこの四年後の安政六年(一八五九)、次第に緩められた「文武課業法」は全廃されることになる。

 「それであれば、何も申し上げることはありません」

 神陽の顔に初めて笑みが浮かんだ。

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威風堂々 幕末佐賀風雲録

伊東潤

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚! 早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男は どのような人物だったのか? 幕末の佐賀藩に生まれ、 明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への道筋を切...もっと読む

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kumabouroMM https://t.co/zQlDExAA9e 約1ヶ月前 replyretweetfavorite