四
佐賀城下の南に梅林庵という小さな寺がある。そこで五月二十五日、義祭同盟による楠公祭が行われた。
この寺には古くから楠木正成・正行の木像が祀られており、国学者の枝吉神陽は「楠木父子の尊皇の志を今に伝える」べく嘉永三年(一八五〇)からこの祭祀を行っている。ちなみに安政元年(一八五四)からは参加者が増えたため、木像を龍造寺八幡宮の祠堂に移し、その境内で行われることになる。
ちなみに五月二十五日は楠木正成の命日にあたる。
今年で六回目となるこの催しに、初めて大隈は参加した。これまでも義祭同盟に出入りはしていたが、十八歳になり、ようやく加盟を許されたのだ。しかも鍋島安房を参加させたことで一躍、大隈は注目を集めることになる。
また、あの騒ぎで大隈の友人となった坂本文悦も、大隈に誘われて参加するようになる。
この時の参加者は二十八人で、四十三歳の安房を筆頭に、主宰者で三十四歳の神陽、同い年の島団右衛門(後の義勇)、島の実弟で三十二歳の重松基右衛門、二十四歳の大木民平(後の喬任)、二十二歳の江藤新平、二十一歳の中野方蔵らが参加していた。神陽の次弟で二十八歳の二郎(後の副島種臣)は、藩命で京都に留学中のため参加できなかった。
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