威風堂々 幕末佐賀風雲録」気宇壮大(一) 2

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚!
早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男はどのような人物だったのか?
幕末の佐賀藩に生まれ、明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への道筋を切り拓いた男の思想と生涯とは。
青年期から最晩年まで、「走る人」「闘う人」「創る人」「聞く人」として駆け抜けた、
令和版大隈像をお楽しみください。

 少年大隈が親しく交わり、終生の友となったのは一つ年下の久米邦武だった。久米によると、大隈は温和で親しみやすい少年だったという。だが大隈は、十二、三歳の頃から「ハシクリ」と呼ばれる暴れ者になっていく。「ハシクリ」とはハゼを表す佐賀方言で、すばしこいことからつけられた。

 腕力が付いてくると、大隈は学問でもめきめきと頭角を現していった。本人の回顧談によると、細かいことや無駄だと思われることを覚えるのが大嫌いで、物事を高所から大摑みする要領のよさを備えていた。また新情報に敏感な上、良書を見つける手腕は抜群だったらしい。しかも自分では読まず、良書を読書好きの友人に勧め、時によっては自分が購入した本を貸してやる。それで大要を聞いて「自己の薬籠中に収めておく」のが得意だったという。

 佐賀藩では、成績優秀者から順番に外生寮から内生寮へと進級できる仕組みだったが、十六歳になった大隈は同期の中で一番に進級を許された。

 「やめた」

 読んでいた『論語』を放り投げると、大隈はその場に手枕で横たわり、薄汚れた天井を見つめた。

 背を向けて勉強していた同室の三人が驚く。

 弘道館の内生寮は四人一部屋で、十八畳の部屋の四隅に机が置かれ、中央に蒲団を並べて寝る形になっている。それゆえ最初に蒲団に入ることはためらわれ、自然に競い合いのように勉強することになる。

 「何をやめるんですか」

 久米丈一郎がおずおずと問う。

 「こんな勉強はやめる」

 それを聞いた一人は、大隈を無視して本に顔を埋めた。またもう一人の広澤達之進は大声で素読を始めた。広澤は後に鍋島閑叟の側近となるほど優秀だった。

 久米が「やれやれ」といった口調で言う。

 「八太郎さん、勉強をやめたら、たいへんなことになりますよ」

 「分かっておる。『文武課業法』から脱した者は、家禄の半分を返上せねばならなくなると言いたいんだろう」

 佐賀藩には、成績の振るわない子弟の家の家禄を半分も召し上げるという「文武課業法」という厳しい定めがある。

 弘道館の教育は、朱子学と『葉隠』を主とした画一的な課業だったので、専門的な知識が身に付かないという難点もあった。例えば大隈のような石火矢方や医者の息子が、将来何の役にも立たない朱子学を懸命に勉強するという状況になっていた。

 「八太郎さん、誰だって勉強は嫌いです。それでも家のために学ばねばならぬのです」

 横から広澤の「わしは好きだ」という声がしたが、二人は無視した。

 「そうした考えがいかんのだ。皆が朱子学に詳しくなっても、飯の種、すなわち産業は育たない。だいいち火術方をやるのに朱子学が必要か」

 火術方とは鉄製大砲を鋳造する部門のことで、藩内でも優秀な若者だけが抜擢される花形部門だった。

 「それを言ったらおしまいでしょう。われらのような一介の学生が、藩の定めに逆らうことはできません」

 「だから、お前は駄目なのだ」

 「何が駄目なんですか!」

 久米が色を成す。その間も広澤は声を上げて素読を続けているので、二人の声も自然と大きくなる。

 「常に自分と家のことしか考えない輩に、この国の将来は語れぬ」

 「うるさい!」

 耳をふさいで勉強していた一人が喚いたが、二人はそれも黙殺した。

 「私が自分のことしか考えていないと仰せですか」

 「そうだ。口では考えていると言っても、行動が伴わなければいかん。わしはこのまま『儒骨』になるつもりはない」

 「儒骨」とは、書物から知識を学ぶだけで、その知識を生かそうとしない者のことを言う。

 「今は家禄を減らされずに弘道館を卒業し、それから実践的な学問を学びます」

 「われらが弘道館を卒業する時は、いくつになっている」

 「二十半ばです」

 久米が唇を噛む。

 佐賀藩では家督を継ぐ平均的な年齢まで学ばせるほど教育熱心だったので、学問を修了するのは二十台半ばになっていた。

 「さような年齢になってから、実践的学問を学ぼうとしても手遅れだ。『儒骨』どころか、本物の骨になってしまう」

 別の部屋から「静かにしろ!」という声が聞こえたが、大隈はいっこうに気にしない。というのも大隈は身長が六尺あり、腕っぷしが強いので、喧嘩で後れを取ったことがないからだ。

 「それは一理ありますが、朱子学は人間の修養に必要な学問です」

 「不要とは言っておらんが、朱子学などは外生の時に学ぶだけで十分だ。この年になって、こんな退屈な学問などやっていられぬ」

 大隈の心には焦りが生まれていた。

<次回は9月17日(火)更新です>

コルク

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伊東潤

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚! 早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男は どのような人物だったのか? 幕末の佐賀藩に生まれ、 明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への道筋を切...もっと読む

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コメント

hisuiton 弘道館の内生寮の様子が詳しい(^q^)どの資料からなんだろ??? 6日前 replyretweetfavorite

kumabouroMM https://t.co/6o6kUUyASo 6日前 replyretweetfavorite

suerene1 大隈重信のことなんて全然知らなかったけど、先日からこれ読みだしたら面白い! 威風堂々 幕末佐賀風雲録 https://t.co/u5K7CrKOSR 7日前 replyretweetfavorite