ひっそりと佇む吉祥寺の台所、絶品おかず【生揚げ煮】まるけん食堂

地元民から愛される絶品メニューがある。キャベツがぱりっと新鮮。漬け物はできる限り自家製。安い。女ひとりもOK。5条件を満たす定食屋を『東京の台所』の著者・大平一枝(おおだいらかずえ)が訪ね歩く。儲けはあるのか? 激安チェーン店が席巻するなか、なぜ地価の高い都会で頑張るのか? 絶滅危惧寸前の過酷な飲食業態、定食屋店主の踏ん張る心の内と支える客の物語。人気の街の片隅で地元の人々に愛される店を紹介する。

小さな驚きが続く店

 平日ながら祭りかというほど人だらけの吉祥寺サンロード商店街を抜け、五日市街道を渡ると、突然静かな住宅街になる。邸宅や洒落たマンションが続く路地をさらに進み、およそこの先に昭和34年開店の定食屋があるとは思えない閑静なエリアの一角に、まるけん食堂はある。


吉祥寺サンロード商店街。まるけんまではここから数分

 地図でわかっていても、本当にあるのかなと不安になるくらい小さな食堂はじつにひっそりと控えめに佇んでいる。

 間口は一間。サッシの引き戸を開けると、佐藤好美さんが一拍置いて穏やかな声で「いらっしゃいませ」と出迎える。厨房では弟の清治さんが静かに鍋を振っている。テーブルは8人掛け1、4人掛け1、2人掛け1の合計14席。「相席で、常連さん同士がすぐ仲良くなる」と好美さんは言うが、昼は客が適度な時間で入れ替わるので、ぎゅうぎゅうと隣り合うことはない。こじんまりとした店内に、常時客がひとつのテーブルに1人ずつ座っているイメージだ。8人掛けは、離れて2人座ることもある。


注文が入ってからイチから作るカツカレーは600円。納豆70円をトッピングする常連客

 頭上のテレビの音声が薄くかかっている。

 昭和63年に先代の父が建て替えた。最近もトイレを和式から洋式にするなど、小さな改装を重ねているのでレトロな印象はない。

 清潔でコンパクトで、慌ただしくない落ち着いた定食屋。それがまるけんの第一印象だ。最初は仕事の合間にひとりでふらりと寄ったが、壁に向かった2人席が妙に具合がいい。スマホのメールチェックも食事も、料理が来るまでの読書もひとり集中できる。好美さんが言う。

「あれはウチのカップル特等席なの。壁に向かっているから2人の世界に集中できるでしょ?」

 夜は21時まで。夕方から飲み客中心になる。ときには清治さんも会話に加わり、隣り合わせた者同士でおしゃべりが自然に始まる。

 昼と夜。小さな空間だがふたつの顔を持ち、どちらもそれぞれにファンがいるらしい。


どの料理も210円を足すと定食になる。何種か組みあわせるのも楽しい

 立地。シンプルでコンパクトな作り。歴史。小さな驚きがたくさんあるが最大のそれは、なんといっても丁寧な料理からは想像もつかない劇的な安さだ。メニューの札をじっくり見てほしい。(話はそれるが、黒に手書きの料理名の札は、なぜあんなにおいしそうに感じられるのだろう。画像入りのタッチパネル式より100倍想像力をかきたてられる)


焼肉定食650円になめたけおろし100円を追加

 とんかつ定食530円、カレーライス480円。しらすおろし、なめたけおろしに至っては100円だ。この小さな1品料理がまたどれもおいしい。大根おろしの上にたっぷりのしらすやなめたけ。100円だからこれくらいでいいだろうという手抜きややましい気持ちが微塵もない。とんかつだけじゃ栄養に偏りがあるだろうから、大根もたっぷり食べてくれという店主の心意気がまっすぐ伝わる。

 毎日来ているという近所の20代後半くらいの男性は、焼き肉かカレーかカツカレーをルーティンで頼む。全く飽きないらしい。今日は、皿に大盛りのカツカレーをそれはそれはうまそうに頬張っていて、思わず私もカレーを追加オーダー。しっかり辛くて、玉ねぎや人参に丁度いい歯ごたえがある。料理のうまいお母さんが作るような家庭的で懐かしい味だ。

 別の常連が相槌を打つ。

「そう、ここの料理って懐かしい家庭の味に近い。だから毎日来ても飽きないんでしょうね」

 日替わり定食650円も人気で、メインが2種ついてくる。この日はロースの生姜焼きとハムカツで、初めて来た客の中にはどちらか1種と勘違いする人もいた。私が以前食べた日替わりには、うずらの卵入りのとろろがついてきた。

「よくこの値段でやっていますね」と言うと、清治さんは「家賃がかからないから」。

 たしかにそうかもしれぬが、昭和、平成、令和と高度経済成長期からバブルもリーマンショックも全部通り抜けてきた家族経営の飲食店で、この価格の維持は簡単ではなかったはずだ。

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東京の台所

大平 一枝
平凡社
2015-03-20

この連載について

初回を読む
そこに定食屋があるかぎり。

大平一枝

絶滅危惧種ともいわれながら、今もなおも人々の心と胃袋をつかみ、満たしてくれる「定食屋」。安価でボリュームがあり、おいしく栄養があって…。そこに定食屋があるかぎり、人は店を目指し、ご飯をほおばる。家庭の味とは一線を画したクオリティーに、...もっと読む

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コメント

peaterpayama 吉祥寺住んでた時、行ってたなぁ。 13日前 replyretweetfavorite

littlenailchie 文中に登場してる「毎日通うネイリストの若い女性」は私です 私、若くはないですが、嬉しい(笑) https://t.co/4ctCfpkFli 3ヶ月前 replyretweetfavorite

I_love_kookas 心配になるぐらい有り得ない価格設定!! 3ヶ月前 replyretweetfavorite

ymkkym 読んでてむっちゃお腹すいた。近所にこういうお店ほしいな。 3ヶ月前 replyretweetfavorite