プロローグ
雨が降っていた。冬の冷たい雨だ。
大隈邸の前で止まった人力車から急いで降りようとした久米邦武だが、雨でステップが滑り、危うく転倒しそうになった。
反対側のドアから降りた書生が慌てて駆けつけ、手を差し伸べてくれた。
「すまぬ」と言いつつ、その手を借りて、久米はようやくステップを降りられた。
——八太郎さんよ、これではわしも長くはない。
大隈より一つ年下の久米は八十二歳になる。
玄関口には、大隈の妻の綾子と聡明なことで知られる一人娘の熊子が待っていた。二人は正座し、「ご足労いただき、ありがとうございます」と言って頭を下げた。
書生に手を取られるようにして大隈の横たわる部屋に案内されると、医者や看護婦をはじめとした十人余の人々が集まっていた。久米が来たことで、彼らは座を開けた。
襖を取り払った次の間には、早稲田大学関係者、憲政会、大日本文明協会など、かつて大隈が関与した団体の代表者が顔をそろえている。そちらに目礼した久米は、ようやく大隈の傍らに腰を下ろした。
六尺(約百八十一センチメートル)に及ばんとする大隈の体躯が、窮屈そうに蒲団にくるまれていた。弘道館の寮で起居を共にしていた頃は、足首から先が蒲団から出ていたものだが、さすがに今は蒲団の中に収まっている。
「八太郎さん、どうなさった」
久米の声に気づいたのか、大隈がゆっくりとこちらを向く。下唇の下に桃の種が収まっているかのような渋面は相変わらずだ。
「何だ、丈一郎か」
その不愛想な態度は、若い頃と何ら変わらない。むろん身を乗り出し、「よく来てくれた」などと言われて涙を流されては、久米もどう対応していいか分からない。
——よかった。
なぜか久米は安心した。
幼少の頃から膨大な時間を共に過ごした久米にとって、大隈がどのような人間かは骨の髄まで知っている。
「動けないと聞いていましたが、元気そうじゃないですか」
大隈の顔に笑みが広がる。
「今は、少し休んでいるだけだ」
大隈が強がりを言っているのは明らかだが、なぜか久米はうれしかった。
「また、動けそうですか」
少し考えた後、大隈が答える。
「此度ばかりは分からんな」
二人が皺枯れ声で笑う。
「八太郎さんは、百二十五まで生きると息巻いておりましたな」
「ああ、人間の細胞は百二十五歳前後まで十分に活動できると、アメリカの医学雑誌に出ていたからな。むろんただ摂生するだけではだめで、常に気力を充実させ、快活な精神が肉体を支配せねばならない。さすれば不老長寿は自ずと得られる」
弁舌さわやかだった若い頃とは比べ物にならないほど、大隈がゆっくりと噛み締めるように言う。
「それを信じ、実践していらしたんですか」
「当たり前だ。まだまだ成さねばならぬことがあるからな。それまでは死ぬわけにはいかん」
大隈が皺だらけの口元をすぼめるように言う。
「では、まだ死ぬことは見つけられませんか」
「ああ、見つけられん。見つかるわけがないだろう。見つけたなどと言っている輩は嘘つきだ」
久米の脳裏に、共に学び共に夜を徹して語り合った日々がよみがえる。
「弘道館では四書五経や『葉隠』の素読ばかりやらされ、八太郎さんは辟易しておりましたな」
「当たり前だ。朱子学と『葉隠』だけでは、人生は退屈だ」
『葉隠』とは、山本常朝という佐賀藩士が口述した武士の心得をまとめたもので、葉の陰に隠れて、つまり藩主に気づかれなくても黙々と忠義を尽くすことの大切さを説いている。いわば佐賀藩士の聖書と言えるもので、『葉隠』を否定することは武士(奉公人)であることを否定するのと同義であるとさえ言われていた。
「朱子学と『葉隠』が退屈とは恐れ入った。そういえばあの時、八太郎さんはご家老を前にして『人の自由な思想と、それに基づく行動を、狭い一藩の教育方針によって規制、拘束するなどもってのほか』と言ったというではありませんか」
「ああ、言った。しかし本音を言ってしまえば、退屈していただけだったのだ」
二人が再び笑う。
<次回は9月5日(木)更新です>