いい大人たちとの出会いで育て直された私
私は、もともと両親からの愛情を受けづらく、学校に行ってもいじめられっ子だったので、自分を肯定できなくて、自分を育てるということができませんでした。それでうつになっていったわけです。
その後、たまたま入った病院で、患者さんとのすばらしい交流があり、「認めてもらえる、受け止めてもらえる」という経験をします。
それから下園さんにすすめられた療法をいろいろ試してみると、だんだん元気になってきて、達成感や成功体験を味わうことができました。
でも、自分が専門家になることを志していろいろな勉強をしたときに、中途半端な先生ばかりに会っていたら、私の今はなかったと思います。最高の先生たちはすごく尊敬できるし、人間的だし、こういう人たちのようになりたいと思ったのです。
そういう人たちに物おじせずに近づけたのは、私に発達の凸凹があったからだと思います。「やりたいことはやる。そのへんの子どもにも内閣総理大臣にも、聞きたいことは聞く」という、空気を読めないところが功を奏しているのだと思います。
重鎮の先生たちは下っ端の人間を嫌っているかというと、全然そんなことはありません。「一生懸命勉強しようと思っている若い子たちが話しかけてくれるとうれしい」と言ってくれて、その人らしいおもしろい面も見せてくれるのです。
社会人になって出会ったいい大人たちに育てられて、20代後半から30代にかけて自分というものを育ててもらったような気がします。自信とか、生きるということの土台を、後づけで作ってもらったような気がするのです。
望んでいたはずの死が、とてつもなく怖い
大学で学び、次に徳島文理大学の大学院に進みましたが、実はそれまでの間にとんでもない出来事がありました。
DVを受けていた夫と離婚して自衛隊も辞めた私は、一時期、生活のためと勉強時間を取るために、比較的自由がきく保険会社で働いていました。精神的には引きこもりで、人と話すのも何か聞かれるのも面倒くさい、でも何かにすがりたいという気持ちもありました。そんなとき出会った男性が、結婚詐欺師だったのです。
今思えば古典的な手口で、テレビなどでもよく見る典型的な結婚詐欺です。でも、心に穴が開いて正常な判断力を失っているときは、ちょっとおかしなことがあっても勝手にいいほうに考えてしまい、どんどん深みにはまっていくのです。
その相手にウソをつかれて多額の借金をさせられた上に、「一歩間違えれば殺されていた」という出来事がありました。後ろ手に縛られ暴力を受け、「死ぬかもしれない、殺されるかもしれない」と感じたときの恐怖は、それまでに味わったことのないものでした。
それまで何度も死のうとして、あれだけ「死にたい、死にたい」と言っていたのに、死がこんなに怖いものだとは思っていませんでした。昔、父親に暴力を受けていたときも、ここまでの恐怖は感じなかったのです。
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