第8章「キリストに倣いて」以降|1ジーザス・クライスト・スーパースター?

ところで、キリストは一体、どんな顔をしていたのだろうか? 「カッコよかった」のか、そうではなかったのか? キリスト教徒にとっては、馬鹿げた、あるいは不謹慎な問いとも思われようが、美術史家の岡田温司は、『キリストの身体』で、キリストの美醜を巡る真面目な神学的議論を紹介しているーー。平野啓一郎が、小説を除いて、ここ十年間で最も書きたかった『「カッコいい」とは何か』。7月16日発売の新書を全編連載。 「カッコいい」を考えることは、「いかに生きるべきか」を考えることだ。(平日毎日更新)

1ジーザス・クライスト・スーパースター?


『キリストに倣いて』

「カッコいい」という感覚が、同化・模倣願望を刺激する、ということは、これまでも散々指摘してきた。そして、ヨーロッパで、その同化・模倣対象の元祖と言えば、『キリストに倣いて』(トマス・ア・ケンピス)という本の書名にもある通り、キリストだった。キリストこそ、実際、当時の政治と宗教に根本的な批判を加え、〝反抗〟し、新しい価値を説いて、処刑された人物ではなかったか?

 キリストという存在そのものについては、とてもここで論じられないが、その模範性について、少し見ておきたい。

 ナザレのイエス(史的イエス)の研究は、啓蒙主義時代から二〇世紀のブルトマンを経て今日まで行われているが、そもそもの信仰に於いて、最初からキリストの〝生き様〟に関心が寄せられていたか、というと、必ずしもそうではなかった。教父時代のキリスト教は、キリストの「人性」よりも「神性」を強調することが常で、「磔刑のキリスト」よりも「復活後のキリスト」の方が遥かに重要だった。

 しかし、一一世紀頃から、パウロに懐胎されていた贖罪神学が広がりを見せてゆく。

『神はなぜ人となり給いしか(クール・デウス・ホモ)』の著者ベネディクト会のアンセルムス、また、キリストへの「共感」を重視したシトー会のベルナルドゥスなどが出現し、両会を中心として、キリストの「人性」に着目し、その生涯に関心を寄せ、清貧を実行し、磔刑の痛みを感じ取ることを重視する信仰が芽生えてくる。

 キリスト教は、「身体を過剰に高く、あるいは低く位置づけるという二重の動きによって揺さぶられ」続けた宗教だが、(1)この時代から、トリエント公会議で、受肉に始まり磔刑に至る「受難」が司牧神学の中心とされる一六世紀までは、肉体に対する関心が最も高まった時期だった。それは、キリストの肉体への関心と、体感する信者の肉体への関心、更に言うと、この此岸の物質的な世界全体への関心だった。

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カッコいい」とは何か

平野啓一郎

『マチネの終わりに』『ある男』を発表してきた平野啓一郎が、小説を除いて、ここ十年間で最も書きたかった『「カッコいい」とは何か』。7月16日発売の新書を全編連載。 「カッコいい」を考えることは「いかに生きるべきか」を考えることだ。(平日...もっと読む

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