第7章ダンディズム|5ボードレールのダンディの定義

ダンディスムとは、思慮の浅い大勢の人々がそう思っているらしいような、身だしなみや、物質的な優雅を法外なところまで追求する心、というのともまた違うーー。平野啓一郎が、小説を除いて、ここ十年間で最も書きたかった『「カッコいい」とは何か』。7月16日発売の新書を全編連載。 「カッコいい」を考えることは、「いかに生きるべきか」を考えることだ。(平日毎日更新)

5ボードレールのダンディの定義


ストイックな精神性を強調

 では、具体的に、ダンディについて、ボードレールはどんなことを言っているのか?

 彼はカエサルなどを例に出しながら、ダンディズムを「普遍的なもの」と再定義して、一九世紀初頭のロンドン固有の反動的な文化という認識から解放する。そして、世間の浮薄なダンディ観から一転して、そのストイックな精神性を強調し始める。

 ダンディスムとは、思慮の浅い大勢の人々がそう思っているらしいような、身だしなみや、物質的な優雅を法外なところまで追求する心、というのともまた違う。そうしたものは、完璧なダンディにとっては、自分の精神の貴族的な優越性の一つの象徴にすぎない。だから、何よりもまず品位(distinction)を重んずる彼の目から見れば、身だしなみの完璧とは絶対的な単純のうちにあるものだし、事実、絶対的な単純こそ品位を持つ(se distinguer)ための最善の道である。(『現代生活の画家』)

 トーマス・カーライルの「ダンディとは衣服を着る男」という定義との違いに注目しよう。

 また、ダンディの特徴は、「反逆」、「反抗」である。彼らは、「人間の矜恃の中の最上の部分を代表する者たちであり、低俗なるものと闘ってこれを壊滅しようとする欲求、今日の人々にあってはあまりに稀となったあの欲求を、代表する者たち」なのである。

 ボードレールは、先述の如く、ダンディズムを「普遍的なもの」としたが、同時に「ダンディズムは特に、民主制がまだ全能となるには至らず、貴族制の動揺と失墜もまだ部分的でしかないような、過渡期に現れる」と、現代の必然性を説く。曰く、「頽廃の世における英雄性の最後の輝き」である、と。

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カッコいい」とは何か

平野啓一郎

『マチネの終わりに』『ある男』を発表してきた平野啓一郎が、小説を除いて、ここ十年間で最も書きたかった『「カッコいい」とは何か』。7月16日発売の新書を全編連載。 「カッコいい」を考えることは「いかに生きるべきか」を考えることだ。(平日...もっと読む

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