4第二世代~フランスでの精神的深化
ドルセイ・スタイル
ジョージ四世の治世後、ダンディの第二世代が活躍したのは、王政復古期を経て、革命の動揺がようやく収まり、ブルジョワジーが社会の実権を握った七月王政期(一八三〇─四八年)のパリである。
この世代の特徴は、貴族文化の最後の抵抗といった意味が失われ、ダンディズムの担い手が、広く一般化されたことである。
七月王政期のフランスでも、ショッセ=ダンタン(今日、デパートのギャラリー・ラファイエットが建っている辺り)にサロンを構える新興のブルジョワジーたちは、サン=ジェルマンの貴族文化に強く憧れてはいたものの、ダンディズムは最早、保守反動ではなく、七月革命に参加し、新しい時代を謳歌する彼らにこそ相応しいモードとなっていった。
この時代のファッションのトレンドセッターは、ブランメルに代わって、アルフレッド・ギヨーム・ガブリエル・ドルセイ伯爵で、パリとロンドンを股にかけて名を馳せ、服飾史に「ドルセイ・スタイル」と呼ばれる独自のスタイルを遺したが、最後は例によって没落している。(4)
さりげなさこそを信条とし、国王や大貴族の華美を侮蔑したブランメルの隙のないスタイルとも違って、全体的に曲線的で甘く、フランスロマン主義時代に相応しいもので、丸巻きつば型の彼のシルクハットは「ドルセイ・ロール」、側面をカットした浅靴は、今では女性用の「ドルセイ・パンプス」として知られ、二〇世紀になっても、その名を冠した香水が発売されるなど、長きにわたって影響力を持った。
ダンディが美意識の体現者であったことを考えるならば、当然かもしれないが、この時代に、ダンディとして名を馳せた人々の中には、芸術家や作家たちも含まれていた。
ブランメルは、反時代的で耽美的なフランスの作家バルベー・ドールヴィイの伝記によって神格化されるが、彼らにとってのブランメルは、反動の守護神ではなく、むしろ、俗物主義に対抗する孤高の美的生活者であり、その侮蔑の対象は一般大衆の無教養な拝金主義と、旧態依然として硬直化した貴族社会との両方だった。
この時代に、ダンディズムの精神性について、先鋭的な思索をしたのが、詩人のボードレールである。
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