働いた経験がなく実用的な資格もない私に、五〇歳からの職場は選びようもなかった。職場が私を選んでくれた。まあ、案外こんなものかもしれない。が、健常者にとっての案外な出来事も、障害者にとっては意外で論外な出来事。まだまだ厳しい世の中だが、私はやる気とラッキーなご縁だけでNPOの非常勤職員になった。一芸に秀でていれば、あるいは自分にしかできないことを身につけていれば、飯のタネになる。だから人は学び続けるのかもしれない。ファーストフード店で、参考書にマーカーを引くОL風の女子。あーあー私が四半世紀してこなかったことだ。なにか一つだけでもこつこつ積みあげて生きてくればよかったな、とつくづく思う。
働き始める前、長年、診てもらっている鍼灸師に問われた。「福本さん、そもそも働くってどういうことだかわかってますか」私は首を斜めにした。「自分の本意ではないこともしなきゃいけないのが仕事。嫌なんて言っちゃダメです。でも、できないことを言われたら上手く伝え……られないだろうなぁ。あーあー、きっと苦労しますよ、福本さん。あっ、まずは挨拶をしっかりすること。学校でみんなでしたでしょ?おはようございますって」「それは、私一人ぐらいしなくてもわかんないやって口ぱく。ついでに、合唱も国語の朗読も英語の発音練習も口ぱく」私が平然と答えると、「えー!」と彼は仰け反る。あのさー、私は言語障害が強い。発語にものすごい労力を使うわけよ。声を出すのがしんどいだけで、必要な挨拶はきちんとしてきたよ。これからはもっとするよ。大丈夫だって。やればできるって。地域の学校で健常児に揉まれて、時にこずるさも学んで大きくなったんだよ。適応力も次第に目覚める。環境が人を変えるのだ。「人の話をしっかり聞くというのもお忘れなく。これもできるかな」心配そうな顔をする。その点については……私は夫と息子の暗黙の了解だけで生かされてきた気がする。彼らは何か説明する時には、無意識に私が理解しやすい言葉を選び、使っていたのかもしれない。まあ、どこのご家庭もそんなものかもしれない。でも、さらに考えると、私はここ数年、人の言うことを必死に理解しようとしたことがない。そんな必要に迫られたこともなかった。脳性まひの脳のダメージのせいにするわけではないが、私は人の言うことを並のレベルではわからないのかもしれない。働きだして、このことに私は気づく。自分の興味がないことは、聞いてもすぐに忘れてしまうのだ。ひょっとして、この鍼灸師は私と出会ってすぐにこのことを薄々感じたのかもしれない。でも、きっと脳の働き方も経験や伝えてくる人によって変わると信じる!
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