今から七年前の二〇一二年七月、祇園祭の鐘が聞こえる中、電話で採用の知らせがきた。
嬉しそうに報告する私を、友人は喜ぶよりまず心配した。 重度障害者で働いたことがない。パッパと物事を考え、それを口にできなくても、周囲の粋な計らい(いい意味での忖度)で生きてこられた私が、健常者の中で働くイメージができなかったんだと思う。 夫が逝って四年経っても、心身ともにダメージから抜け出せず、起きている時間も短かった。秋からの採用と思っていたら、二週間後の来月からきてくださいとのこと。だから、 「私、誰からもなんの期待も成長も求められてこなかった。ある部分、子供のまま時間が止まっているような私が働けるんだろうか。そもそも、働くってどんなことなんだろうか」なんて 悩む間もなく社会に出た。 だめになったら、またその時に考えよう。
初出勤の電車の中、私を優しめの職場に送り込んだ後、岐阜に行ったあずみちゃんからメールが届く。
<件名:先輩OLから三つのアドバイス>
一 お給料が出たらまずは自分が仕事で使うもの(服やバックなど)を買う
二 わからないことは聞く
三 人と比べず、きつい時は休む
「とにかくゴー」と週三日の勤務を開始する。 私はそこで初めて、重度障害者が働く上で様々な制度があることを知る。 障害者を雇用した事業所には、障害者が働く環境を整えるための助成金が降りる。ゆめ風はこの時、二名の同い年の女性障害者を雇い入れた。 まだなんとか動けていた脳性まひの私と、電動車いすを操る彼女。支給物資も限定され、助成金額も上限はあるが、すぐさま自動ドアと多目的トイレは設置された。私はノートパソコンと体幹を支える椅子を希望した。 仕事の経験がないに等しく、パソコンにもかなり疎い私だが、一〇年間、懸命に働く義務と共に、納得できる固定給、人員的にも補佐される権利がいただけた。 他に、ジョブコーチ(職場適応援助者)制度、通勤介護、家賃補助の制度、障害者雇用継続のための事業所研修制度などもある。
これらの制度以上に私がなにより驚き、ありがたかったのは、働いている時間は夫を喪失した悲しみから離れることができたことだった。出版物の訂正シール貼りにはじまり、入力作業、校正と、徐々に人の手を借りて働くイメージもできていった。人は経験の蓄積で正しい想像ができる。 ところが、トライアル雇用を終え、雇用契約した途端、背中に激痛が走りベッドから起き上がれなくなった。職場での冷房が原因だった。
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