〈『いだてん』第30回「黄金狂時代」あらすじ〉
1932年、田畑(阿部サダヲ)待望のロサンゼルスオリンピックが開幕。アナウンサーの河西(トータス松本)はレースの実況中継に気合いが入るが、大会運営側からの妨害にあう。田畑たちは実況中継の代わりにレースの模様を放送する奥の手を考える。治五郎(役所広司)はIOC総会でオリンピック招致の立候補を表明する。しかし9都市がエントリー済みという絶望的な状況。東京への招致に、ムッソリーニとヒトラーという2人の独裁者の思惑が影響することに…。
実感の虚実
昭和七年、ロサンジェルスオリンピックの日本向けラジオ放送は「実感放送」によって試合を再現した。
生放送によって入場券の売れ行きが下がるのではないかと懸念したオリンピックの大会委員会が、実況を突如禁止した。そこで窮余の一策として河西三省・松内則三アナウンサーらが編み出したのが、「実感放送」だった。アナウンサーが競技場で観戦してメモに取る。そこからスタジオに移動して、見聞した試合の内容を実況さながらに再現する。河西は以前、甲子園の全国中等学校優勝野球大会 (現在の高校野球)の中継で、試合を直接見ることなく、甲子園から送られてくる経過をもとにアナウンスしたことがあり、「さながら」放送はすでに経験済みだった*1。
記憶に基づく放送は、むろん生中継と瓜二つというわけにはいかない。100m走の実感放送では、わずか10秒の放送が1分にも引き延ばされたという。
実感放送がほんとうの実況ではないことは、事前に放送で説明されていた。だから当時の人々は何も、この放送を本当の実況だと勘違いしていたわけではない。しかし、実況ではないとわかっていてもなお、誰も見たことのない試合の内容を、唯一の目撃者であるアナウンサーの口からそのときの時間の流れに沿って時間をきくことは、熱狂を生み出すには十分だった。映像のないラジオだからこそ、想像力はいやが上にも高まり、抜きつ抜かれつの接戦はきく者の鼓動を早くした。
100m自由形決勝。その感動の場面は、「実感放送」で描かれる。
マーちゃんの指示に従って、スタジオにいる宮崎をはじめ出場選手はアナウンサーの語りに合わせてブレザー姿で腕を掻く。さらにマーちゃんはバケツを用意させ、臨場感を生むべく水音を立てる。いくら実感が必要だからといって、まさかこんな馬鹿馬鹿しいことはしなかったのだろうが、ここは笑わせどころなのだろう。手のひらでぱしゃぱしゃ叩くその音の軽薄なこと。選手のバタ足にしてはあまりに軽く、速すぎる。マーちゃんの手はまるで彼の早口のように急いでいる。水音でさえ、この男はやかましいのだ。阿部サダヲの手の演技はすばらしい。
20m、10m、5m、宮崎ついに優勝! 高石はゴールした宮崎に手を差し伸べ、水から引き上げ、抱きかかえ、健闘を称える。先週来の「ノン・プレイング・キャプテン」高石の思いは、宮崎の見事な活躍によって決着した。そしてその決着は、いかにもクドカンらしい、笑いを交えた描写で表現された。この時点で、わたしはてっきり、「実感放送」を、優勝の感動に笑いの成分を加えるための演出だと思い込んでいた。
実感を見せる
しかし、「実感放送」の描写が本領を発揮したのは、このあとだった。
400m自由形決勝、大本命の大横田は昨日までの腹痛で最悪のコンディションの中、本番を迎えていた。号砲一発、選手たちが飛び込み、最初の50mのターン、先頭はフランスのタリス、ついでアメリカのクラブ、「大本命、大横田にいつもの伸びが見られない」 。