原爆を投下させた人間の「弱さ」を責められるか【第20回】

「生きづらさ」の正体を探る対話はさらに続きます。人は自分の根幹をなす普遍的なアイデンティティを置き去りにして、職業や立場のアイデンティティを自分自身だと錯覚してしまう──。長谷川博一さんの指摘から、話題は茂木健一郎さんにとってのヒーローでもある物理学者・アインシュタインが関与した歴史の転換点に移ります。
話題の書籍『生きる──どんなにひどい世界でも』を連載で全文公開。(火・木・土更新)

photo by 飯本貴子

今いる場所で 何ができるのかを考える

長谷川 大人が用意した教育の内容は、かなりプログラム化されて画一的なものになってしまいました。まず大人が予習し準備をし、教えなくてはならないことが決められている。

 でも本当に大事なのは、大人がセッティングしたことを暗記したり組み合わせたりすることではなく、茂木さんが子ども時代に蝶たちとたわむれて成長したように、自分の好奇心に基づいて手を出しやってみることで発見が生まれるという、自発的なプロセスの楽しさを知ることなんじゃないかと思います。

茂木 そうなんですよね。世界的に見たら日本の学力観は時代遅れであるというのは客観的な事実です。IB国際バカロレア ※71)がいいかどうかはまた別の議論ですが。

 まず、「偏差値」なんて言っている時点で、日本の大学はグローバルブランドじゃないということです。つまり、インドやパキスタンやマレーシアから目指してくるような大学になったら、入試の基準自体がバラけるから偏差値が計算できなくなります。東大の偏差値が計算できているということは、結局、東大がドメスティックな大学だということなんです。

 でも、じゃあ僕が東大の総長だったとして、どう経営改革できるのかというと、それは確かに難しいかもと思うんですよ。脳科学でいうところの「身体性」ってことかな。

長谷川 身体性。つまり立場が変わると、それにふさわしいように考え方も変えなくてはならないということでしょうか。

茂木 考え方は変わりませんが、その立場でできることもあるし、できないこともあるということですね。

 例えば、民放のゴールデンのプロデューサーがバラエティをつくっていて、今度キャスティングをこう変えようとか、その範囲内で頑張っているとしますよね。一方で、僕は今、研究所に籍があって半分フリーのような感じで脳科学をやってるんだけど、「じゃあ、俺はどれぐらい進歩してんの?」って自分に聞いてみると、実はテレビ番組のプロデューサーの進歩と大して変わらないかもしれない。

 僕にはテレビ局で視聴率20%の番組をつくる能力はない。せいぜいツイッターをやったり本を書いたりするしかない。専門分野では論文を書くけど、意識の謎はなかなか解けない。だけど、その中でベストを尽くしたい。本当は何かもっと素敵な進歩をすべきかもしれないのに、必ずしもできてないわけだから、あんまり人のことも言えないなって感じがするときがあるんですよ。

 それが身体性。結局、自分の今置かれた状況からどれくらい変わっていけるか、変えていけるかという、スピードと方向の問題です。

 例えば長谷川さんが民放の番組のプロデューサーになったとしても、おそらく、そういう新しい身体性を引き受けられて、そこでできることはかなり限られてきてしまう。ものすごく変えようとして自爆するか、あるいはその組織を去るか、少しずつ変えていくかという三択しかないんじゃないんでしょうか。

長谷川 身体性という概念はアイデンティティと近いものですか?

茂木 脳科学ではほぼ、イコールです。「身体性=アイデンティティ」と言っていい。

長谷川 職業アイデンティティは地位やついた職業によって変わるものです。でも、それよりもっと普遍的なアイデンティティってありませんか。

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生きる──どんなにひどい世界でも

茂木 健一郎,長谷川 博一
主婦と生活社
2019-07-19

この連載について

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生きる──どんなにひどい世界でも

茂木健一郎 /長谷川博一

「生きづらさ」の正体は何なのか? 現代社会の病理はどこにある? 脳科学者と臨床心理学者が出会ったとき、いのちが動きはじめ、世界の見え方が変わります──。7月19日発売の書籍を全文公開。

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