べき」の嵐から巧妙に逃げよう【第19回】

人工知能(AI)のディープラーニングから、分析心理学の始祖・ユングが唱えた集合的無意識へ……。茂木健一郎さんと長谷川博一さんの対話はさらに広がっていきます。「見たいもの(だけ)を見る」のが人間だとする認知的不協和を前に、本当に伝えたいメッセージは届くのか。茂木さんは悲観よりも楽観の立場をとります。
話題の書籍『生きる──どんなにひどい世界でも』を連載で全文公開。(火・木・土更新)

photo by 飯本貴子

科学が扱えるもの 科学では扱えないもの

茂木 今、AIでもディープラーニング(※65)の研究をしていますが、深層学習をすると、想定できないような深いパターン、要するに、人間が想定してないパターンができてしまうことがわかってきています。

 犬と猫を見分ける学習では、「犬」「猫」というカテゴリーはありますが、深層学習だと、猫の中でも、こういう姿勢の猫、こういう場所にいる猫、こういう毛並みの猫という、人間が想定してない細かいカテゴリー分けが勝手にその深層側にできてしまって、それがそのAIの能力を決めることになるんです。

 人間の脳の中にもおそらく、われわれが普通、把握している犬とか猫というカテゴリーよりももっと細かい、ちょっと簡単には把握できないようなカテゴリー化が起こっているはずです。しかもそれが、トラウマのような非常に強い感情の反応を伴うようなものだと、強い形で残っている。それがひょっとしたらユングの言うところの元型(※66)につながっていく可能性もあると思うんです。だから、ユングの元型って、現代的な解釈で深層学習的な見方をすると、その最も深層にあるカテゴリーのことになるんじゃないかな。

長谷川 ユングの言う元型も、AIの深層学習では説明は可能になるということですか?

茂木 そこは科学主義をとる限り、可能です。ですから、われわれ科学者にとっても、ユングの元型やベルクソン(※67)純粋記憶(※68)がとても気になっているんです。

 ベルクソンははっきり言っているんですよ。純粋記憶(意識、心)というのはコートで、コートをかけるハンガーが脳。だからハンガーがなくなってもコートは残る。つまり、「脳がなくなっても純粋記憶は残っている」というんです。それは、われわれ科学者が、普通の科学の範囲では扱えないことです。

 だからもし、長谷川さんが「ユングの元型は、その脳の物質的な状態とはまた別の何かだ」とおっしゃるとすると、それはとりあえず、脳科学では今のところ扱えないことになってしまう。

長谷川 元型というのは、普遍的無意識を想定していますからね。

茂木 個人に属しているものじゃないということですよね。だから、そこはわからないとしか言えません。

 ただ、純粋記憶は、今の脳科学から見ても面白い。

 ベルクソンの有名なエピソードがもう一つあります。ある女性が戦場で夫が死ぬ夢を見て、実際に夫が同じ時刻に死んでいたと。それは偶然の一致だと言われるかもしれないけど、その夢を見た妻にとってその経験があったことは事実だから、その経験と統計的な分析は違うんだということを、ベルクソンは言ったというんです。

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主婦と生活社
2019-07-19

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コメント

100miles_away_m この社会に欠けていて、しかも自分が大事だと思うものは、少しでもメッセージ・イン・ザ・ボトルで出していきたい。そうすれば状況は変わっていくんじゃないかと 3ヶ月前 replyretweetfavorite

megamurara 今も残る2500年前の偉人達の思想は元型に問い掛けているのかと思いました。 3ヶ月前 replyretweetfavorite