photo by 飯本貴子
歪んだ社会を生きる 子どもたち
茂木 現代社会って、これまでの価値観のままでは行き詰まりますよね。今の世の中を象徴するものというと、AI(人工知能)、IoT(※53)、仮想通貨、グローバリズム……。
世界大学ランキングで日本の大学が地位が低くなっているのも、僕の中ではもはやどうでもいいとさえ思っている。文科省が「ランキング何位以内に何校入れる」と目標を打ち出しても、世の中の人には、「あまり関係ない」という空気も出てきている気がします。
グローバル化のために英語をみんな話せるようにしよう、という方向に国が向かっているけど、「そういうことでもないんじゃないの?」とみんな思っているんじゃないかな。
長谷川 まだ世の中は、茂木さんのような悟りの域にまで至っていないというのが私の実感ですね。少しでもわが子の学歴を上げれば人生は成功すると信じている人が、まだまだ多数派です。
最近、ある小学生と母親の話を聴いたのですが、その子は将来のためにと7種類の習い事をしていました。さすがに7種類は多いほうではありますが、経済的に余裕のある教育熱心な家庭では、4つや5つは当たり前。まさにグローバル化に沿って英語が話せるようにと、幼児から英語を習わせる家庭も増えてきているようです。
茂木 そうなんですか。僕は、偏差値、グローバル化、世界大学ランキング、英語、そういうもののもっと先に行きたいと個人的には思っていますが、意外とそういうことがまだ世の中では大事というわけですね。そうすると、当然、歪みが出てきますよね。
長谷川 歪みはいろんな形で現れています。期待に応えるいい子だった子の逆襲が事件という形で現れることもあります。歪みが、その人の人生のどこかで現れる。
あるいは次の世代で顕在化するまで持ち越されることも少なくない。
茂木 さらに言えば、「正しい生き方」をみんながすべきだという意識がますます精緻になってきていますよね。
とんでもないことをなるべくしないようにしようとみんなが気をつけて、均一に成績を上げて、期待されるように振る舞って、真面目に生きて、全員が学級委員的な生き方をするようになってきている。それは良い側面もあるかもしれないけど、一方で、人間のあり方としては、かなり歪みがたまるんじゃないですか。
人間の欲望や衝動に対して、非常に緻密に、隙間なく、ルールで制約を加えていこうとする方向は、一つの進歩であると同時に、歪みが出てくる可能性がある。
長谷川 そういう歪みは、まず純粋に生きている子どもたちにつらい思いをさせますね。
私の臨床心理センターでは、フリールームを併設しています。ここには、学校に行っていない子どもたちや20代の若者たちが来ています。フリールームでは、スマホゲームでもなんでも自由にしていい。勉強をしたい子はしてもいい。看板倒れに終わらない、まさしくフリーなルームなので、したいことをするために来てもらう。休むのも自由。人を傷つけること、あるいは自分を傷つけること以外はルールレスです。行政が行っているような望ましいあり方、という理想を掲げていないんです。そこに「メンタルフレンド」といって、若者のサポーターが寄り添うようにしています。
来ている子たちはこれまでに、学校はダメ、教育委員会の適応指導教室(※54)もダメ、ほかのフリースクールでもダメだった場合がある。私のセンターが個別性を尊重することに徹するからこそ、自主的に来ることができるのでしょう。
社会の中心にいない子にとって、人と関わりを持っていこうとする上では段階を踏む必要があります。これまでにいろんな場面で世間の対人関係で違和感を抱き、それが積もり積もって深い自己不信に飲み込まれる状態に陥ってしまった。そして生涯、「嫌いな自分」とつき合っていかなくてはならない。これは歪みの現れ方として典型的なパターンではないかと考えています。
茂木 学校って窮屈なところだからなあ。
長谷川 ただ、センターのフリールームで「スマホやゲーム、なんでもしていいよ」という裏には、深い理念があるんです。できればそこに何かしらの発見が伴ってほしい。
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