個性的であれ。
学校でもテレビでも、みんな違ってみんないいと言う。
目立つ服を纏えばいいわけでもなく、奇行をとればいいわけでもない。個性とは何なのか。それさえ手に入れてしまえば、何にでもなれるような気がしていた。逆を言うと、それがなければ、喧騒の中に埋もれていく気がして怖かった。
高田馬場。学生街であるこの場所は、破裂しそうな果実に溢れている。社会に出る一歩手前、どうにかして、誰かと違う「何者」かになりたくて、夢と期待が腹の底で疼く。
下の名前で呼び合い、学食で談笑している4、5人のグループや、安居酒屋で浴びるようにアルコールを流し込む集団。彼らはすれ違うたびに「お疲れー」と挨拶を交わす。会話は軽快。みんな、いい人だった。
でもなぜだろう、すべてがペラペラしていて頭に入ってこない。入学したての頃、3年生の先輩が作った映像作品を見たとき、黄色い声をあげた同級生に驚いた。
朝焼けの風景とカフェで流れているような音楽が合わさった映像は「SCARECROW」というタイトルだった。カカシという意味らしい。
びっくりするほどつまらなかった。
私は、笑い声が飛び交うキャンパスで、一人コーヒーを啜っては心の中で難癖をつけて4年間を使い切った。
同級生のこと
ある女学生がいた。彼女をAとしよう。Aは入学の際に上京した同級生だ。バイト、サークルに授業。すべてをバランスよくこなす。授業でグループプレゼンをするならば、「うちで集まって意見まとめよう!」と率先して手を挙げるタイプで、いつも誰かと共にいた。茶色く染めた髪が風になびく。高田馬場を力強く闊歩する様は、私にはない生命力があった。
Aは人懐こく、私のような意地汚い人間にも明るく話しかけてくれる。「ねぇ、あの映画見た!?」「この本読んだ?」「アニメ見て徹夜しちゃった」と、弾む声で話す。表情が豊かで、自分の話をしっかり聞いてもらっている感触があった。
でも、私は彼女が少し苦手だった。
全身で青春を謳歌している彼女に嫉妬しているのだろうか。自問してみても、しっくりこない。ザラザラした感触だけは確かにあった。
就職活動が始まると、大学の雰囲気は一変した。憧れた職業に就きたくて、みんなが一心不乱に走り出す。何者でもない学生たちは、必死に自己PRを取り繕った。
私の学部は特にメディア業界を志望する同級生が多く、Aも私も似た企業に出願した。面接の現場ですれ違ったり、選考の情報共有をしたり、同じ方向を向いている彼女はライバルでもあり、戦友らしくもあった。
全国から数万の応募が殺到する中で、内定の席に座れるのは個性を持った優秀な数人だけ。Aも私も志望企業には受からなかった。というか私の場合、そんなものはあったのだろうか。なんとなく華やかな世界に足を踏み入れたかっただけだったように思う。だから何十社もの企業に対して「ここに入りたい」と言えたのだ。
就活中、ひとつだけ覚えていることがある。ある企業のOBにこう言われた。
「きみは自分の意思を話しているようで、どこかから持ってきた正解を話すよね。間違っててもいいから、”きみの意見”を聞きたいんだけど」
この瞬間まで、自分の意思で人生を進めてきたと思っていた。大学でヘラヘラしている学生たちとは違うと信じていた。でも、考えてみれば学校も志望企業も趣味ですら、全部見栄え良さで選んできたものではないか。
自分は面白い人間でもなく、何かを成し遂げているわけでもなかった。だからせめて着飾っていたかった。詳細な知識とか、所属してる組織とかで。
私は誰かとケンカしたことがなかった。対立するほどの意見を持っていなかったのだ。なぜならすべてが借り物だから。地面が崩れるような感覚に陥った。
就活を過ぎると、破裂しそうに疼いていた果実たちが静まった。あれだけ熱量をもって映画や文学の話をしていたのに、就活を境にすーっと温度が下がっていった。まるで水が引いていくかのように消えていく。高田馬場はかつてより静かに見えた。
何人かの同級生は地元の有力企業へ就職し、帰郷した。人によっては「また東京に帰ってくる」と言い残して。Aもその一人だった。
私はというと、一般企業に就職してストレス過多な生活を始めた。多分、環境に合っていなかったのだと思う。個性がない人間は、自分に適合する環境にたどり着けず神経をすり減らしていくのだろう。脱出したいが「せめて3年は働かないと転職は厳しい」と誰かが言っていた。
結局、どうしてもメディアで仕事をしたいと諦めきれず、Webメディアの世界に飛び込んだ。編集や執筆は未経験。博打だったが、「無給インターンでいいので働かせてください」と頭を下げた記憶がある。
それから6年が経つ。余計なストレスはないが、満たされた感覚もない。誇れるほどの実績もなく、欠乏感だけが明確になるだけだ。もっと上手く、速く書けるようになりたい、もっと知りたい、近づきたい、と欲望だけが湧いていく。「個性的であらなければ」と悩んでいる余裕なんてない。
個性の正体
ある日、Aと電話をした。大学の友人とは疎遠になっていたので、きっと私はぎこちなかった。
「私が地元に帰る日に、あなたは電話してくれたんだよ、覚えてる?」
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