3 What is Hip?
「ヒップって何だい?」
一九七〇年代に活躍したファンク・バンド、タワー・オヴ・パワーのサード・アルバムには、《What is Hip?》という曲が収録されている。スリリングな16ビートに乗った、切れ味鋭いホーンが聴き手の体を揺さぶるバンドの代名詞的な曲だが、そのサビは、「ヒップって何だい? 知ってると思うなら教えてくれよ。ヒップって何だい? お前が本当にヒップならさ。」という問いかけになっている。歌詞には、ヒップ、ヒッパーhipper、ヒッペストhippestと、その三段活用まで(!)登場する。
明確な答えはなく、「ヒップ探しの旅」のような歌だが、終盤、次のように歌われている。
「お前は一つ知っておくべきことがある。今日ヒップなことだって、時代遅れになってしまうかもしれないってことさ。」
日本人には、なかなか、耳慣れない言葉だが、「カッコいい」のお手本として、「クール」と並んで参照すべきアメリカの価値観こそが、この「ヒップ」である。
『ヒップ──アメリカにおけるかっこよさの系譜学』の著者ジョン・リーランドによると、「クール」だけでなく、ダウンdown、ビートbeat、フレッシュfresh、ラッドrad、ファットphat、タイトtight、ドープdope、……といった「カッコいい」に関連する英単語は、すべてこの「ヒップ」に帰着するという。
尤も、「クール」は、今でも日常的に連呼されているが、「ヒップ」はやや死語化している。それでも、流行に敏感な人たちを意味する「ヒップスターhipster」という言葉は、近年また復活していて、しかも、今日では時に、「意識高い系」といった日本語などと近い、少々揶揄するようなニュアンスも含んでいる。
「世界一ヒップ」
一九八五年から九〇年にかけてマイルス・デイヴィスと交流を持った小川隆夫によると、この時代のマイルスは、専ら「クール」という言葉しか用いず、「ヒップ」とは言わなかったそうだが、『マイルス・デイビス自叙伝』(1989年)は、この「ヒップ」という言葉のオンパレードである。勿論、非常に肯定的な意味で使用されている。
例えば、一九四七年頃、マイルスが「最高にヒップで、すごいサックスを吹いていた」と評するデクスター・ゴードンとのこんな件がある。
五二丁目にもよく行ったが、デクスターは当時のはやりの肩の大きなスーツを着て、とてもヒップにキメていた。オレも、自分で最高にヒップだと思っていたブルックス・ブラザーズのスーツを着ていた。例のセントルイスふうのヤツだ、わかるか? セントルイス出身の黒んぼは、恰好に関しちゃ定評があった。だからオレには、誰も何も言えなかった。だが、デクスターだけは違った、オレの恰好がヒップだなんて思わなかった。彼はいつも「ジム(注・マイルスのこと)、そんな恰好でオレ達と一緒にいないでくれよ。もっとマシな恰好をしてこいよ。もうちょい、キメないとな。『F&F』に行ってこいよ」と、ブロードウェイのミッドタウンにある服屋のことを言うんだ。
「どうしてだ、デクスター。このスーツだってキマってるだろ、高かったんだぜ」
「マイルス、違うね。ヒップとは言えないな。値段なんて関係ないんだ、わかるだろ、ジム。ヒップかどうかだけが問題で、お前が着ているものときたら、ヒップなんて代物じゃないね。もしヒップにしたかったら、肩のデカいスーツに、ビリー・エクスタインと同じシャツを着なきゃ」
「でも、デックス。これはいい服なんだぜ」
「ヒップだと思ってるのはわかるがね。マイルス、そうじゃない。お前みたいなスクエアなシャツを着た奴と一緒にいるわけにはいかないね。おまけにバードのバンドで吹いてるんだろ? 世界一ヒップなバンドだぜ。おい、もう少し勉強しろよ」(中山康樹訳)
「ヒップとは何か?」を考える上で、これ以上はないほど、凝縮された場面である。
日本では、一九七一年頃から「NOWな(ナウな)」という俗語が流行し、七〇年代を通じて使用された後、七九年に「ナウい」という語に取って代わられ、八〇年代までは使用されていたが(『日本俗語大辞典』)、「ヒップ」の流行の意識の仕方は、それと近い印象を受ける。
「肩のデカいスーツ」というのは時代を感じさせるし、デクスター・ゴードン自身が、七〇年代になると、タートルネックのセーターのようなラフな恰好でステージに立っている。その方がヒップだったのである。
しかし、単なる表面的な流行とも違っているのは、チャーリー・パーカー(バード)のバンドの評価の仕方を見てもわかる。「世界一ヒップ」というのは、最上の褒め言葉であり、「世界一カッコいい」以外の何ものでもなく、この会話中の「ヒップ」を、すべて「カッコいい」と翻訳しても、まったく違和感がないだろう。
「カッコいい」は、実力主義である
「カッコいい」という言葉を使用し出した日本のミュージシャンたちが感化されたのは、こういう文化だった。彼らも、言わば岩倉使節団のように、本場アメリカのミュージシャンたちの服装を見て、自分たちは「ヒップじゃない」と恥じ入り、疎外感を感じたかもしれない。
今でこそ、マイルス・デイヴィスは、ジャズの歴史上、最も「ヒップ」なミュージシャンと認識されているが、その彼をしても「ヒップとは何か?」は、なかなか計り知れない問題だった。
デクスター・ゴードンは、言わば「お手本」として一目置かれているわけだが、なぜ彼にその資格が認められていたかといえば、単純に、彼の服の選び方と着こなしが「カッコよかった」からだろう。「カッコいい」は、実力主義である。なぜなら、理屈ではなく、受け手の体感が判断の根拠だからである。そして、「カッコいい」人は、存在そのものが影響力となる。デクスターを見て、「最高にヒップ」だと感じたマイルスは、その恰好に憧れを抱いたし、「ダサい」ヤツ扱いをされて、恥ずかしかっただろう。
素直なマイルスは、このあと、「47ドルたまると『F&F』に行って、ちょっと大きすぎるんじゃないかと思うくらい肩の大きなスーツを買」い、着ているところにデクスターと出会して、「イエー、ジム。なかなかキマってるぞ。ヒップだ。これでオレ達と一緒でも恥ずかしくないな」と褒められたという、微笑ましい後日談が書かれている。
こうした会話は、実際のところ、私たち自身が「カッコいい」を巡って十代に経験したことの言わば原型だろう。
言われた通りに買った「肩のデカいスーツ」を着たマイルス(右)と、「はじめに」で話題にした80年代のマイルス(左)
「ヒップ」と「スクエア」
日本では、「ヒップ」という概念は定着しなかったが、紹介されたのは、六〇年代後半である。
一九六七年にアメリカの『コスモポリタン』誌が「ヒップ」についての特集を行うと、翌年、評論家の植草甚一が、「五角形のスクエアであふれた大都会」というエッセイを書き、「ヒップ」と「スクエア」という対義語を解説している。
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