2 「カッコいい」=「クールcool」か?
「カッコいい」音楽
さて、私が散々、「カッコいい」人として名前を挙げているマイルス・デイヴィスだが、『マイルス・デイヴィスの真実』(小川隆夫著)で、彼は自分の音楽を、端的に次のように定義している。
「オレの音楽がどういうものか教えてやろうか? 『カッコいい』音楽だ。それ以外に何がある?」(一九八六年)
マイルスは、ダントーがモダニズム芸術の特徴と指摘した「様式戦争」を、自らの発展の中で独りで実践している。兄貴分のチャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーが創始した即興的で熱狂的なビバップとは違う、アンサンブルを重視して、口ずさめるようなメロディを備えたクール・ジャズを創始したのを皮切りに、ハード・バップ、モード、新主流派、フュージョン、……と、常に自分の足跡を「もう時代遅れ」にしては、先へ、先へと突き進んでいったミュージシャンだった。『マイルス・デイビス自叙伝』は、今でも、ビバップ以降のジャズの歴史を知りたい人にとっての最重要文献である。
ところで、勿論、マイルスは「カッコいい」などという日本語を知っているわけでなく、元々は「cool」という言葉を使用していた。それに「カッコいい」という日本語訳を当てたのは、著者の小川隆夫である。
小川は、マイルスと個人的な交流もあり、マイルス本人から「お前は、オレのことならなんだって知ってるじゃないか。」とお墨付きを与えられたほどの人で、この時の会話やマイルスという人物とその音楽から受ける全体的な印象を考えても、妥当な訳語だと感じられる。
実際、小川に限らず、coolを「クール」とカタカナで書かないのならば、「カッコいい」と翻訳するのは一般的なことだろう。そうした翻訳を見ずとも、私たちが「カッコいい」と感じているロックやヒップホップは、当人たちにとっては「cool」であり、私たち一人一人が、「cool」を自分の頭の中で「カッコいい」と翻訳し、憧れ、受容している。テイラー・スウィフトやレディー・ガガ、サム・スミス、Kygoを、今日、多くの日本人が「カッコいい」と感じているが、彼らにそれを英語で伝えようとすれば、ひとまずは「cool」と言うのではあるまいか。
「取り乱すことがない」態度
それでは、一九六〇年代以降に流行した「カッコいい」の正体は、端的に「cool」だったのか? しかし、今日の英語の日常会話で用いられる「cool」の意味は、「カッコいい」の比ではないほど多様化しており、少し考えただけでも、両者が単純に直結しないことがわかる。
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