基礎研究の担い手としての役割を終えた 企業の中央研究所の凋落

日本の研究開発の8割を占める民間企業は、潤沢な研究資金でノーベル賞級の研究を支えてきた。しかし、中央研究所の縮小や撤退が相次ぐ中で、研究力の低下は顕著だ。

 NTTは、旧逓信省の研究所の流れをくむNTT武蔵野研究開発センタを筆頭に、国内5拠点(武蔵野、横須賀、筑波、厚木、京阪奈)の研究所を有する。

 このうち、厚木にある「物性科学基礎研究所」は、基礎研究に携わる研究者を100人弱(契約社員を含む)抱える。ただ、1980年代には、前身の「基礎研究所」の人員は200人を超えていた。さらに当時は、半導体レーザーの基礎研究などをしていた「光エレクトロニクス研究所」も200人以上を抱え、基礎研究に従事する研究員は今より圧倒的に多かった。それを思えば、随分な縮小である。

 日本の研究開発の8割を占めるのは民間企業だ。企業が取り組む研究領域には、既存の技術や理論を最終製品に結び付けるための応用研究や、効率的な製造工程を構築するための生産技術研究などがある。特に短期的な収益には結び付かない基礎研究は主に大学や国家組織の役割というイメージがあるが、企業内でも一般に「中央研究所」と呼ばれる部門が基礎研究を担う例がある。まさに80年代は、大企業が中央研究所ブームに沸いていた。米AT&Tのベル研究所や米IBMのワトソン研究所をモデルに、各社が基礎研究部門を次々と拡充したのだ。

 2014年に、青色発光ダイオード(LED)の発明で、天野浩・名古屋大学教授、中村修二・米カリフォルニア大学教授と共にノーベル賞物理学賞を受賞した赤﨑勇・名城大学終身教授。赤﨑氏の研究を支えていたのが松下電器産業(現パナソニック)の東京研究所だった。

 赤﨑氏は64年から81年までの18年間、創業者、松下幸之助氏の支援で青色LEDの半導体材料である窒化ガリウムの研究を深めることができたのだ。

 また、赤﨑氏が名古屋大学教授時代の「弟子」であった天野浩氏は大学の設備が足りずに、NTT武蔵野研究開発センタの電子顕微鏡を借りて、青色LEDの発明に至る重要な実験をしている。

 さらに、青色LEDの4番目の功労者とされている東北大学の松岡隆志教授は、当時、NTT光エレクトロニクス研究所に在籍して、窒化ガリウムと窒化インジウムの混晶に成功し、青色LEDの発明に重要な貢献をしている。

 日立製作所は85年に中央研究所を拡充して基礎研究所を設立した。この研究所には、ノーベル賞の有力候補だった故外村彰氏が所属していた。

 NECが89年に設立した筑波研究所には、ノーベル賞候補の飯島澄男氏(現名城大学終身教授)が在籍し、カーボンナノチューブを発見。ソニー中央研究所にいた西美緒氏は86年ごろからリチウムイオン電池の開発を始め、91年に世界で初めて商品化している。

90年代半ば境に
企業の研究力低下が顕著

 90年代初頭までの中央研究所は研究者にとっての“楽園”で、潤沢な研究資金と自由な雰囲気の中で次々と新しい発見を成し遂げた。

 だが、不穏な風は米国から吹き始めた。

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