社会に敷かれたレールは1本じゃない
吉玉サキ(以下、吉玉) 私、山小屋時代から鈴木さんのファンで。山小屋時代、本当はライターに挑戦したかったんですけど、なかなか動き出せずにいたんです。そんなとき、鈴木さんの『私の場合は、山でした!』を読んで、33歳で山小屋をやめてイラストレーターを目指したエピソードにすごく背中を押されました。
鈴木みき(以下、鈴木) おおっ、女性の転機は同じぐらいに訪れるんですね。
吉玉 あと、長いことフリーターっていうのも同じなので、鈴木さんの本は共感することが多くて。
── 吉玉さんは会社勤めが続けられずに落ち込んでいたときに、山小屋に出会ったんですよね。
吉玉 はい。当時は、レールを外れてしまった、私はもう駄目だって、すごく思い詰めてしまってました。
── レールを外れたら終わりみたいな圧力が日本ってありますよね。
吉玉 そうなんですよね。社会のどこにも行き場がないって自分で決めつけてしまって。今思えば、社会のこと何も知らないのに。まあ今もあまり知らないんですけど(笑)。
鈴木 私は就職経験がなくて、季節労働しながらフラフラしてたときに、北海道で同じような生活をしていた友人に、今の「社会が敷いたレール」みたいな話をしたら、「あなたはもうそのレールではないレールに乗っているんだね」って言われました。「どれが本線かはわからないけど、こっちに来ちゃったからもうあっちには戻れないね(笑)」って言われて。
本来はレールは1本じゃないっていうことだよね。
吉玉 本当はいろいろ選べるんですよね。
鈴木 だから人と会うのがいいんです。山小屋っていろんなところから人が来ているから、それだけでも随分人って違うんだなあっていうのを知ることができます。
吉玉 年齢層も幅広いし、山小屋で働いている人にはほんといろんな人がいますよね。前職もいろいろだし。
鈴木 お客さんもいろんな人が来るからね。いろんな価値観とか、いろんな生き方に触れていくことで、これでもいいのかなと思えてくる。若いときって、経験というよりは、人との出会いが少ないのかもしれませんね。知り合いが同級生しかいなかったりとか。
山小屋の常識は下界の非常識!?
──ところで、山小屋で働きはじめて驚いたエピソードはありますか? 印象的な人とか。
鈴木 『悩んだときは山に行け!』に描いたけど、働いていた山荘のおばさんが過激な人で、従業員にもお客さんにも怒鳴ってたので、それに最初は一番びっくりした。いつ怒られるかと思って。
── その人と一緒に働くのは苦痛じゃなかったんですか?
鈴木 不機嫌で怒っているわけでもなくて、そこに愛があるので。
── 吉玉さんの周りにもそういう衝撃的な人はいました?
吉玉 衝撃的な人ではないんですけど、初めて山小屋バイトに行った日に、スタッフがお客さんにごみを渡されて、「山のルールですからお持ち帰りください」って断っていて。当時は山のルールもよく知らなかったから、びっくりしました。接客も、あまり「いらっしゃいませ」とか言わないのに驚きましたね。それまでは居酒屋とかファストフードのお店でバイトしていたので、山小屋の接客って全然違うんだなと思いました。
鈴木 違いますよね。私のいた山荘はロープウェーで目の前まで来られちゃうので、登山者ではない観光客もすごく多いんです。だから、山のルールなんてまったく知らない人もいます。あと、天気が悪いと「山が見えないんだけど!」って文句言われる(笑)。
── そんなこと言われても……。
鈴木 「そうですね」って言うしかないんですよね(笑)。
でも、静かなときのほうが山も機嫌がいいんです。混んでいるときって、山も機嫌が悪い感じがする。
── 山の機嫌?
鈴木 そう。人がたくさん登ってくるから上昇気流が起きている(笑)。お客さんが見てない時間が一番山はきれいなんです。従業員しか起きてない時間とか、お客さんが外に出ない時間とか……。
吉玉 いつの時間帯が一番好きですか?
鈴木 私は夕食の支度が終わって、夕食をお客さんが食べ始めるときぐらい。山の中腹で山の向こうに日が沈んじゃうから、夕焼けにはあまりならないんだけど、晴れていると、青くて澄んでいて宇宙っぽい色の空になる。
吉玉 私は、まだ暗い早朝に厨房でお湯を沸かしているときが一番好きでした。すごく静かで。仕事しているうちに、少しずつ外が明るくなってくるんです。
鈴木 山の影が見え始めて。
吉玉 そうそう!
年齢を重ねてどんどん楽になっていく感覚がある
── 山小屋で働いて性格が変わったとか、そういうことはありますか?
鈴木 他人に怒るとか指図するとか、そういうことができるようになりましたね。あと、人との距離感が上手に取れるようになったかなと思います。近づきすぎると、ぶつかったりしますから。
吉玉 ありますね。
鈴木 仲良くなりすぎても駄目なんです。共同生活だから適度な距離感を持って全員と接するのが大事になってくる。衝突することもあるんですけど、それを持ち越すとずっと感じが悪くなっちゃうので、忘れるというか、受け流すみたいな……。それは山を下りてきてからも役に立っているような気がします。
吉玉 すごくわかります。山小屋では、ある程度ドライな人のほうがうまくやれているなって思います。たまに「職場に1人でも心を開ける人がいればいい」って意見も聞くけど、私はあまりそう思ったことがないんですね。1人と仲良くするより、全員とほどよく付き合っていたほうがうまくいく。少なくとも山小屋は。
鈴木 派閥ができちゃうと嫌な感じになる。
吉玉 そのへんのバランス感覚は山小屋で働いて身につきましたね。ちょっとだけ、俯瞰で見られるようになったというか。
── 物事や人間関係を俯瞰で見られるようになったというのは、お二人に共通していると言えそうです。
鈴木 山小屋で働いてからというよりも、登山を始めてからそうなった気がします。やっぱり高いところから見るから(笑)。
── ほかにも、山に行く前と後で大きく変化した人生観ってありますか?
吉玉 私は若い頃、「なんで自分はいろんなことがうまくやれないんだろう」っていう劣等感がすごくあって。山小屋で働いたからそれが解消されたというわけではないんですけど、たまたま山小屋の仕事ができて、私にもできる仕事があるんだって思えました。
鈴木 私もフリーターだったので、バイトの面接で何度も落ちたりすると、世の中に必要とされてないみたいな感じに思ってましたね。でも山小屋のバイトにポンと受かって、山が居場所になったのかなと思います。
吉玉 山で働く前は「何者かにならなきゃいけない」って謎の焦りがあって。でも、山小屋っていう居場所を得たことで少しずつ、そういうのがどうでもよくなった。
鈴木 あぁ、わかります。
吉玉 私の場合はたまたま山小屋だったんですけど、そういう場所ってたぶん人によって違って。自分を認めてくれる友だちだったり恋人だったり、あるいは職場だったり……。
鈴木 私は「自立したい」というのがけっこう強かったですね。一人で食べられるようになりたかったというか、お金を稼いで自分自身でなんでもできるようになりたいという思いが、若いときから強くて。
吉玉 それはなぜ……?
鈴木 うちはあんまり家族が仲良くなかったので、居場所が「家」じゃなかったんですよね。ここから出るにはどうしたらいいだろうと思ったら、お金が必要だな、と。それですぐ働きはじめて、一人暮らしを始めて……。結局今までそんなに稼げるような仕事には就いたことないんですけど(笑)。
若いころはずっと自分の居場所はここではないって思い悩んでいましたね。でもなんであんなに居場所を探していたんだろう。
吉玉 私も、今思うとすごく探していました。
鈴木 ほんと、年とってよかったと思う。どんどん楽になっていく感覚はありますね。
(後編に続く)
(司会・構成 岸本洋和〔平凡社〕)