「えっ、ホントにそうだったんだ!」
幻冬舎・見城徹が「何度も胸が詰まり、何度も堪え切れずに泣いた」「歌詞と現実が縒り合わさってこの世あらざるラヴ・ストーリーが展開される」(トークアプリ「755」より)と評した小松成美『M 愛すべき人がいて』を読んだが、こちらの胸が詰まることはなかった。では、自分にとってどういった1冊になったかといえば、これまで抱えてきた、「どうせ、アレでしょ、業界のエラいオトコたちって、クラブのVIPルームで偉そうに踏ん反り返って、たくさんやってくるオンナたちを品定めしたりしてるんでしょ?」という、さすがに雑すぎるイメージが、「えっ、ホントにそうだったんだ!」と定着する1冊になった。
10年ほど前、文芸雑誌の編集者をしていた頃、新人賞の応募原稿を大量に読んでいた。小説の評価基準って箇条書きにできるものではないが、「うひょー、そんなベタな展開ないっしょ!」と思わせる作品はどうしても落としがち。要所で必ず交通事故に遭うとか、思い出の場所にやっぱりアナタも来ていたとか、そういった展開を読むと、感想が「ないっしょ!」と雑になる。実際にあるかどうかを小説の評価基準にしてはいけないはずだが、頭のどこかにやっぱりそれが残ってしまう。クラブのVIPルームにいたエラいオトコに見初められてスターになるベタな小説があれば、そこに向ける評価は「ないっしょ!」になるが、浜崎あゆみが「あるっしょ!」と教えてくれたのである。ベタな展開って、本当にあったからこそベタなのかもしれない、と少しだけ反省する。
インスタントの味噌汁をスーツケースに敷き詰める
小説の本編が始まる前に「事実に基づくフィクションである」と記し、巻末で浜崎が、どの部分がリアルでどの部分がファンタジーかは「答え合わせなどするつもりは無い」と述べている。浜崎の『Ayuのデジデジ日記2000-2009』にあるインタビューを振り返ると、自分の記憶力には抜群の自信があるとし、「忘れてることも、忘れてる物もないし、忘れてる人もいない。自分のことだけじゃなくて、この人のこの頃に思ってたことっていうものまで全部覚えてる」と述べている。
本書に記載されているエピソードも、浜崎の抜群の記憶力に基づいたものとして読めば、松浦勝人から突然、来週から3ヶ月間、ニューヨークで修行してこいと命じられ、急いでパッキングをする際に、おばあちゃんが用意してくれたインスタントの味噌汁をスーツケースに敷き詰めるシーンなどに、人間臭さを感じる。
『電波少年』的な「命令と実行」
本書の存在を「痛い」と片付ける人が多いことに驚くが、この本を読むと、書かれている「赤裸々」の成分は、本人がどうのこうのというより、権力を行使しまくる松浦サイドが作った不可抗力であり、理不尽にしか見えない振る舞いのあれこれを浜崎当人が「ラヴ」に変換して乗り越えていた様子が伝わる。これを「痛い」とするのは賢明ではない。命令されて実行、その連続だ。巻末の文章を読む限り、浜崎当人も見城がそうだったように「ラヴ」にピントを合わせて読まれることを望んでいるのだろうが、「ラヴ」でなく、「命令と実行」にピントを合わせると、こちらが思い出すのは当時流行っていたTV番組『電波少年』である。突然、T部長に呼び出されて、あそこへ行ってあれをやってこい、と命令される番組だ。
突然、明日マンションに行くから母親と待っているようにと浜崎へ指示を出し、「付き合っています」と告げる松浦。すると、浜崎が「靴を履くのを待たずに階下へ降りて」いき、高速道路に乗って爆走して着いたのは松浦の実家。「俺の彼女」と紹介した後で、横浜の海を見ながら「俺と付き合ってほしい」と告白する松浦。これを「超ドラマチック!」と興奮できずに、「超理不尽!」と「電波少年」的に解釈してしまうのは、こちらの恋愛経験が潤沢ではないからなのだろうか。アポなし突撃企画に「ラヴ」がコーティングされている感じがする。
「あなたが主役に決まっているじゃん」
一昨年、浜崎あゆみのライヴを観に行く機会があったが、おびただしい数のダンサーが登場、浜崎とダンサーとの関係性として、常に露骨な主従関係を見せつけていた。「私が主である!」と主張する構図が続いたが、「いや、そんなの、あなたが主役に決まっているじゃん」と思いながら見ていた。大雑把にいえば、SMの女王様的なポージングが目立ったのだが、マドンナやビヨンセのような余裕はなく、むしろ、「強気であろうとする必死さ」が垣間見えた。
この小説で記された時期の浜崎の曲は、より内省的で、生きる上での戸惑いが表出している曲が多い。だから、「私が主である!」と主従を見せたがっているライブなのに、昔の曲になると雰囲気変わっちゃうよねと思っていたのだが、この小説を読むと、むしろ連関していたことがわかる。「私が主である!」と主張するまでの変遷を知る。彼女は長らく、主ではなかったのだ。「『M』って松浦のMだったのか!」とのショックはあるけれど、もっとショックなのは、このように業界の仕組みに翻弄された人の痛みを読んで、「堪え切れずに泣いた」などと「ラヴ」の文脈からしか咀嚼できない権力者が引き続きそびえていることだったりするのだが、この本はその出版社から刊行されているのだから、こちらの読み方が鈍いのかもしれない。
(イラスト:ハセガワシオリ)
「"わかりやすさ"から遠く離れて」
小笠原博毅『真実を語れ、そのまったき複雑性において ―スチュアート・ホールの思考』刊行記念
日時:2019年8月21日(水)19:00~21:00(18:45開場)
出演:小笠原博毅、武田砂鉄
会場:代官山 蔦屋書店1号館 2階 イベントスペース
詳細は以下のURLから
https://store.tsite.jp/daikanyama/event/humanities/8135-1735180708.html