九螺ささら「きえもの」

九螺ささら「きえもの」【クラッカー】

切手はみな美しい。美しくない切手はない。そのことが不思議だった。
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※※※この連載が書籍化します。8月27日発売。九螺ささら『きえもの』※※※



「その上に何でも載せて」と促され分母に最果ての素数を載せる



 切手を集め始めたのは十三歳の時だ。

 縦長の菱川師宣の見返り美人の切手を父からもらって。見とれてしまって。何で見とれてしまうのだろうと思って。美しいとはなんなんだろうと考えて。

 わたしが切手に興味があると知った父はそれから、毎月一日に切手を買ってきてくれるようになった。

 わたしはほとんどそれだけを楽しみに生きていた。

 学校に行くのは億劫だった。父と母が心配しないように、親孝行のつもりで通っていた。

 切手はみな美しい。美しくない切手はない。そのことが不思議だった。つまりその正方形や長方形が美しいのかもしれないと思った。その形に切り取れば、この世の全ては美しい。

 国語の教科書に黄金比のことが書いてあった。1:1の正方形が美しいのは分かるとして、それ以外の比の美しさもあるのだ。完璧に美しいものは分かる。目が離せなくなる。

 切手からわたしは目が離せない。切手を見ていると、その面積の枠が、牢獄の窓のように視界を支配して離せなくなる。

 そしてそれが嫌ではなく、むしろずっと支配されていたい。


 十一月一日に、父は記念切手シートを買ってきてくれた。シートでくれたのは初めてで、わたしは興奮してその一枚一枚を凝視した。

「ふるさと記念切手シリーズ」の一枚で、イラストレーターの佐島安治氏が水彩で日本各地の素朴な風景を描いている。

 その中の一枚から目が離せなくなった。

 その一枚だけ、どうしても絵には見えなかった。海沿いの漁師町なのだが、見たことがある。

 いたことがある。

 烏賊がとれ過ぎて、漁師たちがポリバケツに烏賊を捨てていた。

 その烏賊を海猫が食べにくる。

 眺めていると、海猫が腕に載ってくる。触っても逃げない。


 翌日クラスの吉田が、わたしを「海臭い」と言って笑った。

 松永は「魚くせー」と鼻をつまんだ。

 ここは山あいの中学校だ。

 わたしは、あれは妄想じゃなかったのだと覚醒したような喜びに浸った。

 走るように帰り、引き出しから記念切手を出し、日本のいくつかのふるさとに行った。

 毎日、そうやって過ごした。


 父は十二月一日にはクリスマスグリーティング切手のシートを買ってきてくれた。

 その中の一枚は、正方形の形いっぱいが一枚のクラッカーの写真だった。

 凝視しているうちに、切手の枠が外れるようにしてクラッカーが出てきた。

 ほろっとした感触の焼きたての熱さと香ばしさと軽さで。


 そのクラッカーの裏面は、糊の味がする。



 ぴりぴりと切手を切り離す指先五つ並べてオーブンに入れる


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九螺ささら「きえもの」

九螺ささら /新潮社yom yom編集部

初の著書『神様の住所』がBunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞した歌人・九螺ささらによる、短歌と散文が響き合う不思議な読み物。電子雑誌「yomyom」に連載中の人気連載を出張公開!

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