6 ファッションは今もまだ重要なのか?
服装よりもSNS
ネットのもう一つのより本質的な影響は、個人のアイデンティティを評価する上で、服装の比重が劇的に低下したことである。
洋服に限ったことではなく、私たちは、かつては「カッコいい」の象徴だった高級スポーツカーを所有し、乗り回すことを、今ではあまり「カッコいい」と思わなくなっている。若者の車離れには、経済的な理由や、運転していると〝ながら〟が出来ないなど、色々な理由があろうが、ステイタス・シンボルとしての憧れが失われた、というのも、その一つだろう。
消費社会論というのは、やはり、景気のいい時代の思想で、長いデフレ経済の影響もあり、〝誇示的消費〟は「ダサい」と感じられるようになりつつある。実際、フェラーリやランボルギーニが似合うというのは、日本の道路事情的にも運転手のキャラクター的にも、なかなか難しい話だが、そうなると、車の「カッコよさ」は、表面的なものとして内実から乖離したものと思われてしまう。
低い車体に苦労しながら乗り込むのも、大きなエンジン音も、駐車場が見つからずウロウロするのも「ダサく」、今日的な価値観では、シェアリングの方が遥かにスマートで、そうした新しいライフスタイルで生活を合理化している方が、「カッコいい」と目される可能性もある。いずれ、車の自動運転が実現すれば、所有の必要自体がなくなるというのは、私たちが漠然と思い描いている未来像である。(10)
衣服の場合も、本当にそのデザインに魅了されているならばともかく、これ見よがしにブランドの大きなロゴがついたTシャツなどを着ていると、金持ちの自慢のようであり、ただ流行っているから、というので、あまり趣味でもない服を無理して着ていても、センスの良い人、という評価は必ずしも得られなくなっている。
外観の印象は、勿論、否定できないが、それでも今日、ある人物がどういう人かを判断する上では、ネット上のSNSを丹念に読んだ方が、遥かに多くの情報を得られる。どんな服を着ているかで、自分が趣味の良い人間であるということを相手に理解させる必要は相対的に減っている。
極端に言えば、「ノームコア」などというコンセプトまで語られた通り、服は何でもいい、というくらいの無頓着の方が「カッコいい」という感覚さえある。つまり、「カッコ悪く」なければ十分というわけである。それには、スティーヴ・ジョブズの黒いタートルネックや、ザッカーバーグのパーカーなど、シリコンバレー的な価値観の影響も少なからずあるだろう。
今日、就活の学生のリクルート・スーツが異様なまでに同じだというので、しばしば批判の対象とされているが、むしろ、ファッション・センスが採用を左右するくらいなら、そこはみんな同じでいいじゃないか、という考え方には一理あるだろう。安い既製品が出回っているからというのもあるが、表面の「カッコよさ」よりも実質を見てほしいという考えを徹底するなら、採用面接はブラインド・テストのようにパーティション越しに行うくらいの方が正しいのかもしれない。
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