第5章表面的か、実質的か|​1デザインの外観と内実

プロダクトは、その合目的性の故に、機能的で「恰好が良い」ことこそが重要であり、「恰好が悪い」のは困る。しかし、用を足せれば良いという以上に、どうしても欲しい、買いたい、という衝動を感じさせるためには、更にそれを突き抜けて、「カッコいい」と「しびれ」させる何かが必要であるーー。平野啓一郎が、小説を除いて、ここ十年間で最も書きたかった『「カッコいい」とは何か』。7月16日発売の新書を全編連載。 「カッコいい」を考えることは、「いかに生きるべきか」を考えることだ。(平日毎日更新)


第5章 表面的か、実質的か


1 デザインの外観と内実

 前章では、「カッコ悪い」を考えることで、「カッコいい」の意味に裏側からアプローチした。それは、普通とされる規範からの逸脱を意味しており、その乖離は、個人の羞恥心に於いても、社会の秩序観に於いても、解消されるべきであると考えられている。

 しかし、他方では、その外観と内実とが乖離していることこそが重要であり、また合致していなくても構わないとされるケイスがある。

 具体的には、デザインである。


デザインと芸術の違い

 一口にデザインといっても、プロダクト、グラフィック、服飾、更にはコミュニケーションから都市計画まで、……と、昨今ではそのジャンルも多様化しており、一言で定義するのは難しい。

 語源は、後期ルネサンスの画家・美術理論家のフェデリーコ・ツッカリが『画家・彫刻家・建築家のイデア』の中で使用している「ディセーニョdisegno」という言葉とされている。(1)

 今日でも、「素描」や「設計」の意味で使用されているイタリア語だが、ツッカリは、新プラトン主義の思想家プロティノスが用いる「形相」という概念の翻訳として、これを使用している。質料に形相を分有させるのが、芸術(技術technē)だというのがその考え方である。

 理想と素材との二元論という意味では、私たちが考えようとしている「カッコいい」とも関連するようだが、いずれにせよ、デザインは、歴史的にも芸術と近接するジャンルである。

 では、デザインと芸術とは、一体何が違うのか? 両者は確かに違っていて、参照し合うことでそれぞれの理解が深まるが、今し方書いた通り、デザインのジャンルにもより、また、現代のアーティストも、常に芸術とは何かという定義と格闘しながら創作に携わっているだけに、単純な比較は出来ない。

 しかし、せめて頭を柔軟にするために、矛盾を恐れず、その整理を試みてみよう。

 例えば、プロダクトを、広義の彫刻と比べてみる。

 両者の一番の違いは、使用が前提とされているか否かである。機能の有無といってもいい。プロダクトは、基本的に合目的的であり、椅子にせよ、トースターにせよ、用途が明確で、その存在と意味とが一対一で対応している。他方、芸術の目的は、一義的には、美なのか、崇高なのか、ともかく、私たちが感じ取る何かであり、必然的に多義的に開かれている。鑑賞者によってその受け止めが異なり、しばしば役立たずと批判されるように、特に用途はない。

 しかしこれは、たちまち色々な反論を思いつく、あまり説得力のない二分法であろう。

 プロダクト・デザインにも美的な意匠は施されており、それは多分に芸術的である。また彫刻も、歴史的には、建築や広場といった展示場所に適合的であり、また制作には、構図の決定など、デザイン的な視点の導入が必要な段階がある。人の心を癒やす、あるいは刺激する、という意味では、立派な社会的な機能を果たしているとも言える。その時、表現はその目的に準じている。

この続きは有料会員登録をすると
読むことができます。
cakes会員の方はここからログイン

1週間無料のお試し購読する

cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。

人気の連載

おすすめ記事

コルク

この連載について

初回を読む
カッコいい」とは何か

平野啓一郎

『マチネの終わりに』『ある男』を発表してきた平野啓一郎が、小説を除いて、ここ十年間で最も書きたかった『「カッコいい」とは何か』。7月16日発売の新書を全編連載。 「カッコいい」を考えることは「いかに生きるべきか」を考えることだ。(平日...もっと読む

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

Tweetがありません