縄文時代、偶像化される女たちを見て、彼は嘆いた。
弥生時代、王座に据えられる女たちを見て、彼は頭を抱えた。
彼は、物語の神である。
彼の役割は、人間を「正しい物語」のなかで生きさせることである。
「正しい物語」では、男が中心に存在しなくてはならない。
天を見よ。太陽が中心にあるからこそ、星や月は命を得ることができるのだ。人間も同じ。男という太陽が中心にあるからこそ、女という星は命を得ることができるのだ。
彼はまずは、縄文時代と弥生時代を「正しい物語」に直すことにした。
女を
これによって人間たちの認識も「正しく」補正された。
彼は人間たちを、「正しい物語」へと誘導していった。
何百年かの時が流れた。
彼によって「物語」に閉じこめられた女たちは、閉じこめられている自覚もなく、彼の定義する「正しさ」のなかで生きていた。
さて彼は今、「帝の結婚」という物語を動かしている。
年頃の姫君を持つ公卿たちから縁談を持ちかけられた帝が、后候補たちに難題を出すという内容だ。
物語の神は性質の異なる姫君を五人、物語に配置した。とある姫は女の模範という設定で。別の姫は女を戒めるための設定で。もっとも姫たちは、自分が物語の神に設定された存在とは知るよしもなく、生まれ育った家で日々を過ごしているのだが。
【姫君その一 気弱な姫君のある日】
「今日より、その
屋敷の奥まった場所にある、窓ひとつない小部屋へ連れていかれた姫君は、命じられたままに
「弱音を吐くことは許さん。このわしも、乗り越えられない苦難などないと自身に言い聞かせ、一介の武人から大納言まで昇ったのだ。そちを
姫君は手元の琴に視線を落とす。
「一日も早く、帝から賜ったお題を解くのだ。それまでこの父も精進潔斎していよう」
足音が遠のいていく。姫君の傍らに控える女房が、慰めるように語りかけた。
「お父上を恨んではなりませぬ。このような難題を出されたのは帝なのでございます」
帝は二十一歳になるがまだ后を迎えておらず、母である皇后や祖母である皇太后は気を揉んでいた。そんなおり、初潮を迎えた娘を持つ五人の公卿が相次いで「ぜひ我が娘を后に」と願い出た。皇后も皇太后も喜び、帝に選ばせることにした。すると帝は、次のように言ったのだ。
「各自に課題を与える。それを琴と和歌で表現せよ。その結果、女人として最も優れた心を持つ姫を后とする。期日は半年後とするが、それより早くてもかまわない。ただし、これぞと思える姫が現れたら、その時点で后選びは終了だ」
そのお題は、仏の
お題が出ると養父は早速、昇龍の屏風を取り寄せ、姫君の前にどんと置いた。
「毎日これを見て、琴の調べの着想を得るのだ。できないとは言わせぬ」
目玉と
「お題に悩んでいるのは、きっと他家の姫君も同じですよ」
姫君に仕える女房は、そう慰めてくれる。けれども他の姫君は帝の親戚だったり、髪や顔立ちが美しかったり、どんなものでも手に入れる財力や人脈を持っていたりする。かたやこの姫君には、強みといえるものがない。琴を弾けば犬は吠えて猫は逃げるし、女人の
「けれども中納言どのの姫君は、お悩みではないかもしれませんね。お題に取り組もうともせず、怠けてごろごろしているばかりだとか。何を考えているのやら」
女房は、塗籠の片隅に置かれた
「琴から始めるのがおいやでしたら、和歌から始めてはどうでしょう。姫さまの筆は、まことに美しゅうございます。姫さまがお心を捧げるお歌に、帝は必ず応えてくださるでしょう」
「帝がどういう殿方かも知らないのに、どうやって」
「どのような殿方か、想像して心をお捧げなさい。それが女人として最も優れた心なのです」
「よく分からないわ」
「お分かりにならねばなりません」
姫君は目を伏せる。涙がにじんでいた。
「この屋敷から、父上のもとから逃げたい。いっそ、この身を消してしまいたい」
「お逃げになりたいのならば、帝の后になるしかございませぬ」
母屋のほうからは、大がかりに屋根を
「では、わらわは失礼いたします。長くここにおりましたら、大殿にお叱りを受けましょう。ご用がございましたら鈴をお鳴らしくださいませ」
「それなら絵巻物を持ってきてほしいの。こんな場所に何ヶ月もひとりで閉じこめられるなんて、怖くてしかたない」
姫君にとって唯一の友だちは絵巻物だ。広げればいつでも語りかけてきてくれるし、姫君をいじめることも拒むこともない。
「お持ちいたします。お辛くても耐えるのですよ」
女房が塗籠を出ると、再び戸が固く閉められた。
自分がどこで生まれたのか知らない姫君だが、この家に連れてこられた日のことは、ぼんやりと覚えている。まだ二歳だった。
養父の笑顔は見たこともない。女児を産めない妻たちに見切りをつけ、この姫君を養女に迎えたものの理想どおりには育たず、笑みなど浮かべようもないのだろう。姫君の心はこの十二年間、塗籠のなかにあるのも同然だ。
孤独な姫君の手の甲に、涙の粒が落ちた。
物語の神は外界を見下ろし、この姫君を哀れんだ。哀れではあるが、彼が創る「正しい物語」には必要な設定である。そのような設定に生まれついたことを、嘆くがよかろう。
彼は再び、物語を進め始めた。
(つづく)
次回「男の愛を得るために、必要なのはコネか信心か―『竹取物語』2」は9/9(木)更新予定。お楽しみに!