さらに追い打ちをかける出来事があった。
私は22歳の時、障害者認定を受け、(20歳にさかのぼってから)夫が逝くまで障害基礎年金を受給していた。だが、夫の死後、障害基礎年金は止まり、健常者同様の共済遺族年金のみになった。
勤務年数が20年足らずの夫の共済遺族年金の金額は、障害基礎年金とほぼ同額。それが母一人食べていくにも厳しい額だと知った息子は、年金相談センターに出向き訴えた。
「母の脳性まひという障害はなくなったわけではない。むしろ、年々悪化している。なのに、なぜ障害基礎年金が止まったんですか。健常者のように働く体力もない。雇ってくれる場所もないのに」
一人一年金という制度を、人生で一番悲しかった時に息子と知った。社会の一方的な都合で、私は障害者ではなくなったのだ。
そんな追い込まれた状況もあり、私は進化(悪化)する脳性まひとつきあいながら、息子の大学再入学のため一念発起、学費捻出のため、鈍っていた生活者としての生きる勘や経済感覚を少しずつ取り戻していく。
父の大きな背中はなくなってしまった。
ならば、優しい顔もできなくなった私が、丸まった小さな背中でも見せてやるか……。教師になりたい息子を信じて。
さて地味でなにも知らない専業主婦が、どんなご縁に導かれ、週三日の仕事に就くことになったのかこれからお話する。