2 誰が「恰好が良い」と判断するのか?
「恰好」にはプラスの意味がある
ところで、この「恰好/格好」を、本当にただの外観の意味だとしていいのだろうか?
例えば、「このお菓子は恰好が良い。」というのと、「このお菓子は見た目が良い。」というのは、同じ意味だろうか? 微妙な語感にこだわることが、この後、「カッコいい」を考えていく上では、非常に重要である。
「恰好が良い」というと、構えが良いというのか、よく出来ていると言うべきか、理にかなっていてお菓子然としている、といったニュアンスが感じ取れる。お菓子の理想像が前提とされていて、ただ色がきれい、というのとは違い、デザイン的に優れている、と受け止められる。
子供に自由にねりものを作らせれば、様々な、独創的で愛らしい和菓子が出来上がるだろう。もし、あなたがそれを審査しなければならないとすると、「見た目」が良いものを評価することは難しくない。しかし、和菓子として「恰好が良い」ものを選ぶとなると、前提として、ねりものの何たるかを知らなければ、確信を以て判断できない。つまり、どのお菓子がその理念に合致して理想的かが問題となるのである。
小野は、そもそも「恰好」の「あるものとあるものとがうまく調和する・対応する」ことには、「プラスの意味」があると指摘する。白居易にとって、地方官吏という職業は、単に詩人である自分に合っている、というだけでなく、そのことが心地良さをもたらしている。理想的と言ってよく、取り分け、他と比較した場合の肯定的な評価が込められている。
「この議論をする上では、恰好の事例だ。」と言う時、私たちは、その打ってつけの事例が見つかり、議論の中でそれを示すことが出来ることに、軽い興奮と高揚感を覚える。
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