第1回】「お化け屋敷プロデューサー」という職業

現在開催中の【ドラマ×小説×お化け屋敷】のメディアミックス企画「ホラープロジェクト<黒い歯>」が多くのメディアで取り上げられ、大きな話題となっています。この中核イベントであり、東京・名古屋・大阪の三都市同時開催されているお化け屋敷「呪い歯」。このプロジェクトの仕掛け人は「お化け屋敷プロデューサー」の五味弘文さんです。この「お化け屋敷プロデュース」の第一人者でもある五味さんご本人が書いた『お化け屋敷になぜ人は並ぶのか』から、その仕事の中身や集客の仕掛けから企画発想術まで、cakesにて公開いたします(全4回)。

 私は、お化け屋敷プロデューサーという肩書きを名乗っている。けれど以前は、こんな風に自分の肩書きを口にすることはできなかった。自分が行っている仕事を表す適当な言葉が見つからなかったからだ。
 強いて言えば、「お化け屋敷を作る人」といったところだろうか。けれど「お化け屋敷を作る人」では、イメージが湧かない。実際にお化け屋敷の建物を建てる人のようにも思えるし、お化け屋敷の人形を作る人のようにも思える。お化け屋敷の興行を行う人、と思う人もいるかもしれない。

 なぜ、そのように人によってイメージが変わってしまうかというと「お化け屋敷を作る」ということが、どんなことを指しているのかがよくわからないからである。それは当然だろう。身の回りに、営業マンや銀行員や医者や教師はいても、お化け屋敷を作る人はいないからである。実は、私自身もよくわからない曖昧な部分を抱えていた。
 けれど、「お化け屋敷プロデューサー」という肩書きがつくことによって、自分でも仕事の輪郭がはっきりとしてきたのである。

 お化け屋敷の制作は、ほとんどの場合、どこからかの依頼を受けて、提示された条件の中でどのようなお化け屋敷にするのか、設定、ストーリーを考えることから始める。それを基にしながら演出プランを考え、そのプランを図面に落とし込んでいく。図面ができたところで、それぞれの専門家に発注をしていく。美術、造形(人形)、衣装、音響、照明、メカ、制御などの専門家に自分のイメージを伝え、制作に入ってもらう。完成したところで現場に入り、実際に建て込んでいくのに立ち会い、ここでも指示を出していく。
 これらの作業と並行しながら、どのように宣伝していくかを考え、お化け屋敷のビジュアルを作っていく。宣伝やプロモーションも重要な仕事である。できあがったお化け屋敷では、実際に運営していくスタッフとキャストにレクチャーとトレーニングを行い、お化け屋敷が順調に運営できるように指導していく。時には、運営自体も行っていく。
 結局は、お化け屋敷のすべてを統括していくのが、お化け屋敷プロデューサーだと言うことになる。

 それまで、お化け屋敷プロデューサーという肩書きはどこにもなかった。それには理由がある。
 一つは、お化け屋敷というものがエンタテインメントの一つとして十分に確立されていなかったために、明確な分業化がなされていなかった、ということによる。そのために、全体を見るプロデューサーという存在が必要なかったのである。
 もう一つの理由は、これとまったく逆である。お化け屋敷を作る人とお化け屋敷を運営する人は別々であり、さらにお化け屋敷を宣伝する人もそれとは別にいることによって、全体を見るプロデューサーという視点が存在しなかったのである。

お化け屋敷はいつ日本に誕生したのか?

 日本のお化け屋敷は「展示しているものを見る」という形態からスタートしている。その起源は、18世紀後半から19世紀前半と言われている。寛政年間から文化・文政の時代で、この時期大衆文化は成熟し、不思議や恐怖や残酷なものに対して人々の興味が向いていった。

 歌舞伎の演目である『東海道四谷怪談』の初演が文政八年(1825年)で、この作品によって現代にも通じる日本人の恐怖の原型が形づくられたと言ってもよい。今でもしばしば歌舞伎の演目として上演されるが、舞台の上では様々なからくりが仕掛けられ、幽霊が次々と現れて観客を怖がらせてくれる。同時に、落語の世界でも怪談噺が人を集め、巷では百物語を語り合う会なども流行していた。怪談噺の高座では、幽霊の人形を登場させたりして、これも評判を取っていたようである。
 また、この時代には、鳥山石燕や葛飾北斎、歌川国芳らの浮世絵師が活躍し、『画図百鬼夜行』や『新板浮絵化物屋鋪百物語図』『相馬の古内裏』など、幽霊や妖怪、怪奇現象などを題材に次々と作品を生み出していった。いずれもポピュラーな絵なのでご存じの方も多いだろう。

 その頃、東大森の瓢仙という医者が自宅の裏庭の離れに幽霊の人形を置いて、壁じゅうに幽霊の絵を描かせたところ、「大森の化物茶屋」として大きな話題になった、という記録も残されている。

 この時代は、細工見世物が開花した時期でもあった。例えば、今も時々見られる、菊で人形の形を作る菊人形などは、この細工見世物の代表である。まるで生きているかのような人形を作ってそれを見せたり、自動で動くからくり人形を作って見せたりすることが、細工見世物の興行であった。細工見世物が、このような恐怖趣味の流行を無視するわけがない。たちまち、化物人形や生き人形、からくり人形などが作られ、それを展示しながら動かすような見世物が生まれ、大好評を博すようになった。

 お化け屋敷の原点を一つに特定することはできないが、当時の多くのエンタテインメントが恐怖というものをテーマに据え、それぞれの手段でそれを表現していった、ということは言える。

 現在、私たちが思い描くお化け屋敷のスタイルが確立されたのは、おそらく昭和の初めだろう。日本では、明治後期から昭和初期にかけて、博覧会と称する大がかりなイベントが開催されるようになっていた。博覧会の初期には、海外の観光地や風俗を体験する内容が多かったが、やがて幽霊や怪奇、恐ろしい出来事などをモチーフにすることが増え、博覧会のひとつの分野を作るようになっていった。
 そもそも博覧会というものが、様々なシーンを歩きながら体験する、という形態を採っていたため、テーマを恐怖に変えても、その形態を大きく変える必要はなかった。怖いシーンを次々と見て回る、という現在のお化け屋敷に繋がるスタイルは、このときにほぼ決定したと思われる。

「ストーリー」が可能性を拡大した

 このように、お化け屋敷は長い歴史を持つエンタテインメントの一分野であった。
 その中で欠けているところがどこにあったかというと、最初に述べた「プロデュース」という視点だったのである。

 特に重要なのは、演出、制作、宣伝、運営という四つの部門である。
 現在では当たり前になっているのだが、私がこの仕事に携わり始めた1992年当時、お化け屋敷には「ストーリー」というものがほとんどなかった。お化け屋敷にストーリーというものを持ち込んだのは、私が1994年に手掛けた「楳図かずおのおばけ屋敷〜安土家の祟り」が初めてだと思う。
 ここに、昭和六年に読売新聞社が主催した『日本伝説お化け大会』の記録がある。このイベントは次のような場面を並べて構成されている。

 九尾の狐玉藻前
 怪異牡丹灯籠
 相馬古御所
 八幡の藪
 珍説狐の嫁入り
 番町皿屋敷
 四谷怪談
 鈴が森仕置場
 本所七不思議
 など

 博覧会の延長に位置するお化け屋敷というものの感覚が掴めるだろう。それぞれの場面には何の脈略もなく、よく知られた恐ろしい情景を順番に見ていく展示型の施設である。そこには、全体を貫くストーリーはないし、そもそもそのようなものの必要性は感じていなかっただろう。

 この展示型の考え方はその後も長く続き、古い怪談に依らずオリジナルのお化け屋敷を作る時にも、やはり展示型というスタイルを変えることはなかった。たとえば病院をお化け屋敷の舞台として設定すれば、病室、手術室、ナースステーション、霊安室、というように部屋を変えるだけで、自然と恐ろしい演出を行うことが可能である。けれど、そのような方法と採っている限りは、その舞台設定に制約を受けるため、お化け屋敷としての演出は非常に限られたものになってしまう。

 この制約を打ち破るためには、何らかの要素が必要だった。それが「ストーリー」である。
 病院と違って、部屋と部屋に大きな差異がない普通の住宅を舞台にしようと思ったら、その部屋に「意味」を持たせないといけない。その「意味」を作り出すのが「ストーリー」なのである。

 「楳図かずおのおばけ屋敷〜安土家の祟り」は、舞台を安土桃山時代の武家屋敷に設定した。武家屋敷の場合、それぞれの部屋自体に大きな特徴があるわけではない。どの部屋も同じような畳と襖の部屋にならざるを得ない。部屋が持っている属性から演出を考えようとしても、どの部屋もあまりにも同じ部屋ばかりである。

 けれど、「楳図かずおのおばけ屋敷〜安土家の祟り」では、ストーリーを設定した。ストーリーを作ると、登場人物が生まれ、その登場人物に属性が生まれる。部屋をベースに考えると、同じ畳に襖の部屋でもそれぞれのシーンが作れるようになる。登場人物一人一人が、それぞれの部屋で恐ろしい演出を見せる、と考えればいいのである。このことによって、どうような場所を舞台に設定してもお化け屋敷を作ることができるようになった。ストーリーは、お化け屋敷を制約から解放して、その可能性を格段に広げたのである。

 制作の立場からもストーリーがあることは重要であった。前述したように、お化け屋敷は多くの専門家がその制作に関わるが、それぞれの頭の中に持っているイメージは異なることが多い。一つのストーリーとその登場人物を設定することによって、各スタッフがイメージをより具体的に明確化することができ、質の向上を図ることができるようになったのだ。

 さらに、ストーリーは宣伝やプロモーションにも大きな力を発揮した。

 舞台設定に頼るお化け屋敷では、「古ぼけた病院」や「廃校になった小学校」という状況のインパクトでしか宣伝やPRができなかった。しかも、恐怖をイメージさせる舞台設定は、それほど沢山あるわけではない。いくつかのお化け屋敷ができると、似たようなものになってしまい、訴求力も落ちていってしまう。
 ストーリーには、そのような制約はない。どのような設定も可能だし、何よりも他にないオリジナリティーを生み出すことができる。どこかで聞いたような話や設定ではなく、完全にオリジナルの世界を作り出すことができるのである。このことによって、宣伝とPRで強い発信力を持つことができるようになった。

 演出と制作と宣伝を一度に見ることのできる立場が存在していなかったら、これらを有機的に結びつけることは難しい。ここにもプロデューサーの必然があったのだ。

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この連載について

お化け屋敷になぜ人は並ぶのか

五味弘文

現在開催中のドラマ×小説×お化け屋敷のメディアミックス企画「ホラープロジェクト<黒い歯>」が多くのメディアで取り上げられ、大きな話題となっています。この中核イベントである東京・名古屋・大阪との三都市同時開催されるお化け屋敷「呪い歯」。...もっと読む

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2ndlab いろんな仕事あるなぁ > 【 第1回】「 4年弱前 replyretweetfavorite

kadokawaone21 五味弘文さんの仕掛けの極意はこちらでも読めます!→ 4年弱前 replyretweetfavorite

hgchknsk この人の 約4年前 replyretweetfavorite

obake_gomi cakesというサイトに、角川oneテーマ21から発売した「 5年弱前 replyretweetfavorite