九螺ささら「きえもの」

九螺ささら「きえもの」【鯨】

この間と、まるで一緒だ。
いくら同じ女との交わりでも、こんなにおんなじ訳がない。
――電子雑誌「yomyom」に連載中の人気連載を出張公開!
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 シロナガスクジラ一頭死んでゆく沈没船たちの母艦として




「山鯨(やまくじら)食いにいかねえか」仁助が声を落として言ってくる。

 山鯨は猪の隠語だ。獣食いが禁止されているため、兎を鵜鷺(うさぎ)と書いてみたりして何とか我々は獣を食おうとする。

 やはり獣を食うと血が騒ぐ。吉原で女を買った時と一緒で、動物の血が滾る。俺は獣なんだと解放されて、どこまでも闇の中を疾走したくなる。

 飛脚の仕事をしている仁助や俺は、危険を冒してでも獣を食わなければへたってしまう。

 仁助に案内され、峠まで来たが、そこで仁助を見失った。日没が近く、辺りは闇に浸り始めている。人気のなさに急に怖くなり、灯りを探す。

 遠くにぼおっと照らされた看板が見える。近づくと「山鯨」と書いてある。

 なんだ、ここか。安堵して引き戸を開く。するとこの間の吉原の女がいる。

「お遊か?」

 聞いても答えない。

 俺はこの間したように、お遊の首筋を甘噛みする。

 襟元から手を入れ、着物の中に入っていく。椿油の香りに噎(む)せながら、女の体をほどいていく。襦袢の赤と乳房の白が俺の指先を吸い込む。俺は温かな沼にはまった蛇のように、女の体を這いずり回る。女が波打ち始めると、俺は体を波間に入れる。

 この間と、まるで一緒だ。

 いくら同じ女との交わりでも、こんなにおんなじ訳がない。


 おかしい。

 俺は我に返る。

 振り返って引き戸の方を見ると引き戸がない。

 俺は土の上で、月明かりに照らされながら素っ裸で寝そべっている。

 女もいない。


 着物を着直し、道らしきものに出る。雨など降っていなかったのに、道は湿っていて歩きにくい。どこかから饐えた臭気がする。

 いつの間に酒を飲んだのか、足がふらついて仕方ない。道が俺の足を吸い込んで離さない。飛脚の意地で俺は歩く。少し小走りにする。

 次第に足応えを感じる。泥濘を脱したらしい。

 小山が見える。麓から上がっていく。

 いい予感がする。俺の土地勘は正しい。

 案の定、小山を上がりきると日の出が見えた。

 俺は日の出に向かって走る。東に行けば帰れるはずだ。

 日の出に抜けるには白い崖を越えなければならなかった。

 俺はもう草履を履いていなかった。履き潰して消えたらしい。

 白い崖を越える。

 眩しいほど朝だった。


 振り返ると、見上げても見切れる巨大な鯨がいる。

 山だと思って分けいっていたのは鯨の体内だった。

 白い崖は鯨の歯で、その前の小山は囀(さえず)り、舌だ。

 俺は、溶ける前に鯨の体から抜け出たのだ。


 吉原の女と心中したと専らの噂だが、仁助はあの山鯨に食われたに違いない。

 俺の裸足の足裏には、おきあみが生臭くへたりついている。



 七大陸はそれぞれが異なる鯨の背中辺りのやわらかな部分



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新潮社
2019-01-18

この連載について

初回を読む
九螺ささら「きえもの」

九螺ささら /新潮社yom yom編集部

初の著書『神様の住所』がBunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞した歌人・九螺ささらによる、短歌と散文が響き合う不思議な読み物。電子雑誌「yomyom」に連載中の人気連載を出張公開!

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