ユウカはこれまで自分の人生は自分の考えだけで決めていると思い込んでいた。
「自分の心が赴くままに生きている」と。
でも、最近、それは違うように思えてきていた。
ユウカは、周りの人たちが朝9;00に出勤する勤め人ばかりだった頃は、朝起きて働きに出ることが当たり前だと思っていたし、付き合ってる男が古風な男だった頃は、朝ご飯に味噌汁と漬物を出すのを当たり前だと思っていた。
だけど、いま沖縄でセツ子たちと暮らしていると、朝遅く起きるのも、朝食にスクランブルエッグを食べるのも、こっちのが当たり前のように思えていた。
真実、人っていうのは容れ物のようなもので、前頭葉にある容れ物に何を入れるかによって、感じ方も考え方も、思い切った決断すらも、変わってしまう気がしていた。
その前頭葉の容れ物に、神様の教えがあるなら、神様の教えにそって行動をするし、その容れ物に、お金がある人なら、金儲け第一に行動するし、その容れ物に、最愛の人がある人なら、その人に気に入られるように行動する。
容れ物の中身は一種、フィルターのような役割を果たしていると思う。
要は、その容れ物に、宗教だろうと物だろうと人だろうと、何を入れるかが大事で、その中身によって、簡単に人は変わってしまうし、逆に言えば、簡単に変えることもできる。
「本当の自分は……?」なんてことも考えたりもするけど、ほとんどの人は、実は容れ物に過ぎないと思ったら、ユウカは自分の人生を俯瞰的に見ることができた。
結婚寸前までいって、自らご破算にしたり、遠く沖縄まで流れてきて再び結婚熱がぶり返して結婚を求めている現状は、傍からみれば理解不可能な出来事でも、その容れ物の中身が変わったと思えば、納得もできる。
自分を変えたければ「環境を変えろ」というけれど、それは、入ってくる情報や周りの人物が変わると、容れ物の中身が変わるということなんだろう。
だからこそ、ネガティブな人の周りにはいたくないし、上から目線で物を言う人の傍からは離れたいと思うのだ。注意しないとそういう要素も、頭の中に入ってきちゃうのだ。
周りにそういう人ばかりだった場合、自分もやっぱりネガティブな考えになってしまうし、人をさげずむ人間になってしまう。そうならなかったとしても、陰口を言われるのが嫌で行動を制限したり、下に見られるのが嫌で、他人に厳しくあたってしまう。ユウカはそれは嫌だった。
ユウカは、自分の頭の中の容れ物に「何」もしくは「誰」を入れるか、迷っていた。
でも、人との出会いは選べるものだけじゃない。偶然、深い仲になってしまう人だっている。
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