夏の日暮れ時、窓辺のソファーで俳優・向井理の写真集をパラパラめくる。
「ふむふむ、やっぱりかっこいい!」
亡き夫の姿がそれと重なる。
お仏壇の写真は若く凛々しく美しい青年のままだ。七月は12回目の祥月命日。生が終わる瞬間、夫は何を考えたのだろう。
夫は最期、ドラマのように、「愛してる」「ありがとう」とは言わなかった。
まるで日常の一コマが終わったのごとく、あっさりとこの世から去った。生きて去った。それだけだ。生前、彼は教師だった。悩みも苦しみも切なさもあじわう仕事だと察する。が、私たち家族は彼の愚痴を聞いたことが一度もなかった。彼は最愛の夫であり、父だったと再確認する。
でも、私は死者を責め続けた。今も時おり、
「なんで障害者の私を置いていくねん」
夫のいないこれからの人生を考えると寂しさと不安と恐怖で、この世の悲しみを独りで抱えた気になる。
心の中にできた穴は、きっと、これからもふさがらないだろう。が、いつからか、無理に埋めようとせずに開けておこうと、思うようになった。
ひょっとしたら、この穴は、この世とあの世をつなぐ糸電話のようなもの。死者の声を聴ける唯一のものだと。で、「死者の声」とはなにか。それはたった一つ。「生きたかった」だ。
この連載を書く間、私の念頭にはいつも、19人の重度障害者が元施設職員に虐殺された「相模原事件」があった。犯人は「障害者は生きていても仕方がない」と言い放った。
あれから3年、植松被告は……社会は……私たちはなにか変ったのだろうか?
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