第1章「カッコいい」という日本語|3軍隊起源説、楽隊起源説

「はじめに」でも書いたことだが、芸術の中でも、「カッコいい」という言葉が最も自然に用いられるのは、やはり音楽だろう。しかもそれは、日本の伝統音楽ではなく、欧米から輸入された、ジャズやロックなどのポピュラー・ミュージックであるーー。平野啓一郎が、小説を除いて、ここ十年間で最も書きたかった『「カッコいい」とは何か』。7月16日発売の新書を全編連載。 「カッコいい」を考えることは、「いかに生きるべきか」を考えることだ。(平日毎日更新)

3 軍隊起源説、楽隊起源説


「カッコ悪い」=処罰対象

「はじめに」で紹介したように、一九六〇年代に、リアルタイムでこの「カッコいい」という流行語に触れた野坂昭如は、「テレビ関係者の中から生れた、一種の方言」と考えていたが、語源に関しては、更に古い複数の異説がある。

 一つは、意外にも軍隊での使用例である。

 小説家の安岡章太郎は、国語学者の大野晋との六八年の対談で次のように語っている。

 安岡   そういえば「カッコいい」とか、「バッチリ」とか、「最低」とか、「いかす」とか、ああいうのは全部軍隊でつかっていた言葉だ。

 大野〔晋〕 そうですか、ほゥ。「いかす」もそうですか。

 安岡   「いかす」は完全につかっていました。十年ぐらい遅れてはやってきたでしょう、みんな。これは不思議だな。(1)

 安岡は、太平洋戦争末期の一九四四年一一月に二十四歳で学徒動員の召集を受け、北部満州の歩兵第一連隊に配属されているが、その後、左心性胸膜炎のために内地に送還されたところで終戦を迎えている。

 軍隊でどのように「カッコいい」という言葉が用いられていたかは、自伝『僕の昭和史』や戦争小説『遁走』などに徴しても、具体的な用例が見つからない。

 とても現在のような意味でこの言葉を使う雰囲気ではなさそうだが、例えば、銃剣術の刺突の訓練の箇所で、「跳び上って木銃を斜め前に突き出す」という単純な動作がどうしても出来ず、主人公が、「おい安木、お前の跳び方は、それは何だ。ばたん、という音がするのはまだしもだが、お前はバクン、バクンじゃないか。おれが初年兵の教育をはじめて以来、そんな妙な音をたてて跳ぶのはお前が最初だぞ」と上官に罵倒される場面などは、何事も規律訓練の世界だけに、上手く出来ない、つまり「カッコ悪い」ことが処罰の対象だったことを窺わせる。

 もう一ヵ所、「青木にとっては軍隊は自分のヒロイズムを見出す場所なのだ、と加介は思った。」という一節も、軍隊を「カッコいい」を考える上では示唆的である。

 これについては、第9章で「カッコいい」の政治利用を検証する際に、改めて立ち戻ることにしよう(因みに、作中の青木は、「斥候の訓練のとき崖から墜ちて」死ぬという、まったくヒロイックではない最期を遂げている)。

 いずれにせよ、軍隊内部の言葉が、戦後、二十年ほどを経て一般化した、とするならば、そのこと自体が興味深い。

 安岡が言及しているもう一つの「いかす」という言葉は、「1958年、人気絶頂の石原裕次郎が日活映画で盛んに使い、若者に流行したことば」(2)とされているので、戦後の流行語という意味では、「カッコいい」より先である。

日本の楽隊の展開

 とは言え、安岡は、軍隊で「カッコいい」という言葉を使用していたとは証言しているものの、軍隊で作られたとまでは言っていない。

「カッコいい」の由来として、もう一つ興味深いものに、楽隊起源説というものもある。

「『かっこいい』『しびれる』のたぐいはみんな楽隊〔タカマチモノという〕が作った言葉である。」(3)

 こう証言しているのは、一九二〇年代からクラシック、ジャズ、映画音楽と様々なジャンルで活躍し、取り分けジャズ・プレイヤー、作曲家としては、その黎明期の最も重要な人物の一人として知られる紙恭輔である。戦中から戦後に至るまで、日本の音楽業界の中心にいた紙の証言には、信憑性があるのではあるまいか。

 紙は、一九三一年に南カリフォルニア大学に留学し、二年間かけてシンフォニック・ジャズを学んでいる。彼が「楽隊」というのは、当然に「洋楽隊」のことである。「タカマチモノ」とあるが、高町とは縁日のことなので、そういう非日常的な賑わいの場所で演奏をするような楽隊を指して言う言葉だったのだろう。

 日本の楽隊の起源としては、一九〇九年に東京・日本橋の「三越百貨店」が結成した少年音楽隊の記録が残っている。(4)その後、同様の少年音楽隊が全国で結成され、渡米の船旅に同伴されて、彼らが持ち帰った楽譜が初歩的なダンス音楽として演奏された。

 その後、大正時代には更にダンス・ホールが増え、ジャズのレコードも輸入されるようになり、三越少年音楽隊は八人編成のジャズ・バンドを結成している。

 昭和になると、大学生のバンド活動も盛んになり、また上海の租界地で演奏していたアメリカのミュージシャンからの影響もあって、日本の楽隊の演奏能力も向上した。この時代のダンス・ブームは、今日では想像し難いほどだが、戦争が始まると、四〇年に全国のダンスホールが閉鎖され、四三年には「敵性音楽」が禁止されて、終戦までジャズの演奏を聴く機会はなくなった。

 とは言え、音楽ファンは、憲兵を恐れつつ、その抜け道を工夫したようである。

 日本でも、戦前から既にベニー・グッドマンやデューク・エリントンのレコードは出回っており、ジャズ評論家の瀬川昌久は、

「昭和一六年(一九四一年)一二月八日の開戦の日もね。ニュースでしきりに開戦とかいってるけど、二階でジャズをかけていました。」(5)

と証言している。

「昭和一九年の初めごろに『敵性レコード供出』というお触れが出たの。それまでレコードについて売買の禁止という法律はとくになかったんです。でもジャズをかけてる喫茶店があるということで、ジャズ・レコードはすべて供出しろと。ビクターの何番のベニー・グッドマン(cl)はいかんとか、政府が番号までリスト・アップして、それらを供出させました」

 ただ、「日本の弾圧はドイツほど厳しくなかった」と言う。

 これは、クラリネット奏者の北村英治が、母親に「憲兵に知られたら連れて行かれて、どっかに放り込まれちゃうし、レコードも取り上げられちゃうよ」と言われながらも、「押し入れの中に入ってポータブルで」ジャズを聴いていたという逸話とも合致している。

 終戦後、わずか一月で、松本伸がニュー・パシフィック・オーケストラを結成し、翌月からGHQの将校クラブで演奏するようになり、NHKラジオで『ニュー・パシフィック・アワー』の放送が開始された、というのは、驚異的な逸話だが、戦時下でも日本のジャズは息を潜めて復活の日を待っていたのである。

 進駐軍放送や進駐軍キャンプの影響もあり、続け様にジョージ川口のビッグ・フォアなど人気バンドが結成され、ジャズのコンサートは大盛況となる。ダンス・ホールも復活し、一九五三年にルイ・アームストロング・オールスターズの来日公演が実現する頃までには、ジャズは空前のブームを巻き起こしていた。(4)


新鮮な驚くべき喜び

「はじめに」でも書いたことだが、芸術の中でも、「カッコいい」という言葉が最も自然に用いられるのは、やはり音楽だろう。しかもそれは、日本の伝統音楽ではなく、欧米から輸入された、ジャズやロックなどのポピュラー・ミュージックである。

 紙の証言は、こうした戦前からの洋楽の受容の歴史の中に置いてみると、一層説得力を増すように思われる。ただし、一九〇九年の三越少年音楽隊の結成以後、どの辺りから「カッコいい」が使用されるようになったかまでは判然としない。恐らく、昭和になってからではあるまいか。

 では、彼らは、「カッコいい」という言葉をどのように使用していたのだろうか?

 まず、それが新鮮な驚くべき喜びであり、また非日常的だという点が重要だった。

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カッコいい」とは何か

平野啓一郎

『マチネの終わりに』『ある男』を発表してきた平野啓一郎が、小説を除いて、ここ十年間で最も書きたかった『「カッコいい」とは何か』。7月16日発売の新書を全編連載。 「カッコいい」を考えることは「いかに生きるべきか」を考えることだ。(平日...もっと読む

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コメント

takeda92037829 "カッコいい"を考え直す機会で面白かったです。 4ヶ月前 replyretweetfavorite

nakawaki63 興味深い記事でした。 言語というのは本当に深い。 4ヶ月前 replyretweetfavorite