小学6年生、11歳の夏だったと思う。あるいは12歳の夏だったかもしれない。背後からつねにクスクスと嘲笑がぶつけられ続ける地獄のような一学期をなんとかやり過ごし、ようやく学校生活から解放された夏休み。同じ境遇の級友数名と肩寄せ合うようにして早朝集合したのは、地獄のような小学校前だった。親にはもちろん、架空の友人宅で夏休みの宿題をする「勉強会」だと嘘をついた。校門にほど近い駅前バスロータリーからは、晴海行きの臨時運行バスが出ていた。
1991年夏のコミックマーケットC40は、それまでの幕張メッセから急遽、古巣の晴海・東京国際見本市会場へ舞い戻っての開催となった。詳細は「コミケ幕張メッセ追放事件」でぐぐるとよいが、無修正同人誌の拾得をきっかけに幕張メッセ側が直前になって貸し出しを拒否したとのこと。1989年に宮崎勤が逮捕された幼女連続誘拐殺人事件以降、本当に、本当に、オタクへの風当たりが強い時期だった。
校内で我々が受けていたのも、個別の「いじめ」というよりは、漠たる「迫害」だった。クラスメイトのみならず、教師や親兄弟にまで、「漫画やアニメを愛好する者は警戒すべき犯罪者予備軍、いつ誰を殺すかわからない変態集団である」「早い段階で更生させるか、隔離するか、自由を剥奪しておくべきである」という暗黙の空気が充満していた。課外授業の班分けでは、「オタクはオタクだけで集まって一班作ればいいと思います、そうしないと他の一般のグループにオタクを少しずつ混ぜないといけなくて、クラス全体が迷惑します」と言われ、とくに親しくもない毛色違いの根暗同士が、ただオタクっぽいというだけでゲットーを形成させられそうになったりもした。
「幕張は遠すぎるけど、晴海なら行けるよね、学校前からバス一本だし!」というわけで、『スタンド・バイ・ミー』オタク女児バージョンが決行されることになり、私はこう思った。「地獄の一丁目から、天国行きのバスが出る」。真夏の晴海にはきっと、老若男女、私たちと同じオタクしかいない。オタクだからという理由で軽んじられたり蔑まれたりしない。オタク同士が手に手をとって舞い踊り、誰もがマジョリティになれる場所なんだ。晴海行きのバスの中では見知らぬ同志たちが、口々に無事の開催を喜び合い、受け入れ先の会場への絶大な感謝を述べていた。子供の私もすぐに大人の真似をして「表現に自由を」などと口走った。気分は『出エジプト記』である。海だって割れるよ。
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級友たちと現地解散した後のことで、憶えているのは幾つかの情景だけだ。最初に思い出すのは、暑い盛りの炎天下、バス停から延々と歩かされたこと。場内では見たことがないほど巨大なコンテナ型のゴミ箱があちこちに設置され、飲み干したサイダーか何かをボトルとラベルに分別することを求められ「エコロジー!」と思ったこと。そして、自分の圧倒的な資金力不足だ。
11歳といえば、世田谷から電車を乗り継いで池袋や横浜のアニメイトまで出かける往復運賃すら大金で、到着した頃には下敷きやラミネートカード一枚買うにも躊躇せざるを得ないフトコロ事情である。晴海でも同じように、どう考えても買えそうにない豪華装幀本は、手に取って立ち読みする勇気さえなかった。カタログも共同購入だから、ほんの数ページ分を破り取ったサークルリストしかない。通りすがりに見かけた素敵なスペースを物色し、コピー本や便せんなど安価な頒布物を買い求め、その機に乗じてスケッチブックに描き下ろしの絵をねだる、それが当時の私にできる精一杯だった。皆さんよく応じてくれたものだ。
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