犯罪者が抱える「生きづらさ」にも共感は必要か【第12回】

人間と人間が向き合うのは「時間がかかる面倒なこと」だという茂木健一郎さん。臨床心理学者の長谷川博一さんは、犯罪を犯してしまった人に対する処罰感情の変化について、興味深い事例をあげて説明します。ふたりが感じる「人間の真実」とは?
茂木さんと長谷川さんによる新刊『生きる──どんなにひどい世界でも』を連載で全文公開。(火・木・土更新)

photo by 飯本貴子

「人間」への興味が 薄れる時代

長谷川 扁桃体で行われている判断や感情、その人らしさの生理的基盤はそのままなのに、表出される行動が大きく変わるという現象も見られます。

 例えば、次のようなケースで説明してみましょう。

 1979年から1983年にかけて名古屋保険金殺人事件(※25)が起き、3人の命が奪われました。共犯の2人に死刑判決が出されたのですが、そのうちの1人が被害者の遺族に手紙を書き続けたのです。遺族の方は死刑囚の手紙を読み、返事を書き、そして実際に面会して対話をするまでになった。最初は「死刑にしてほしい」と願っていたのですが、別の感情がわき出てきた。やがては「死刑にしないでくれ」と法務省に対して死刑執行停止の上申書を出しました。

 これは、ベクトルが極端に変わっていますよね。

 強い処罰感情で死刑にしてくれと言っていたのに、「どんな人か見てみたい」「話を聞いてみたい」といって面会を重ねていったら、ベーシックな感情の質が変わったわけです。

 このケースの場合、実際に足を運んで話をしてみたいというアクティブな部分は、その人がもともと持っているもの。そこはかなり安定的で変わらないと思います。その後に嘆願書を出すという行動につながっているのも、そのアクティブな、その人の古い脳に関わる領域なのでしょう。ベーシックな領域は何も変わっていないのに、客観的にも見える後付けされた認識、加害者をどうしてほしいかについては驚くほどに変わっている。 

「〜してほしい」という希望は、大脳新皮質が強く関与するところですよね。上申書を出すということは、死刑にしないでくれと訴えているわけですから、かなりエネルギッシュです。エネルギーのベクトルは変わっているけど、エネルギッシュなところは一貫しています。保守かリベラルかの問題も、同様に解せると思います。

茂木 面白いなあ。僕は科学者として、人間がなぜある行動をとるのかということを理解したいと思うんです。それは、犯罪のようなネガティブな場合もあるし、逆にすごく創造性を発揮しているような、美術家や作家、あるいは科学者が、なぜそういうことができたのかということも理解したいと思っています。

 そのときに、われわれの公正さの感情を満足させるという意味においての懲役や、ゲーム理論(※26)的にこれをしてしまうと罰があり損だからやらないという、いわゆる抑止力的なことは説明できるんですけど、そもそも、なぜ人間がそういう行動をしてしまうのかという理解には、あまり起用できない。

 長谷川さんも著作の中で書いていましたが、法的手続きとして刑罰を確定するために行う精神鑑定は、必ずしも「犯人がなぜそういうことをしたのか」ということを理解するために行われるものではありませんよね。ある種、判決を下すために手続きとして鑑定をするだけ。そして一方では、社会的に成功した人には、頑張ったんだからと言って賞を与えてお金をあげる。良い学校に行った子は給料が高くて当然だというような、そういう刑罰かご褒美かというところばかりに世間は興味を持っていて、その結果やその行動に至るまでのプロセスに、みんなあまり興味を持たない。

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生きる──どんなにひどい世界でも

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主婦と生活社
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この連載について

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生きる──どんなにひどい世界でも

茂木健一郎 /長谷川博一

「生きづらさ」の正体は何なのか? 現代社会の病理はどこにある? 脳科学者と臨床心理学者が出会ったとき、いのちが動きはじめ、世界の見え方が変わります──。7月19日発売の書籍を全文公開。

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