菅直人元首相の言葉に見た『タテ社会の人間関係』
社会人類学者の中根千枝が1967(昭和42)年に出版した『タテ社会の人間関係』(講談社現代新書)は、日本社会を知るための重要な著作として40年以上にわたって読み継がれている。オリジナルが発表されたのはさらに3年前、1964年の中央公論誌上だった。2014年で半世紀が経つことになる。
この間、日本社会は大きく変貌し、同書に多くの批判も投げかけられた。にもかかわらず、現在、本書を素直に読み返すと、日本社会の現状がそのまま描かれていると感じられるだろう。
例えば、こういう事例に直面する時だ。福島第一原子力発電所事故に尽力した同所長の吉田昌郎市氏が2013年7月に死去した際、事故当時首相であった菅直人氏はブログに追悼文を書いたが、その背景は何だろうか。なお、この例示は誰かを批判するという意図はまったくない。
吉田所長の活躍がなければ事故はもっと拡大していた可能性が高い。事故発生の翌日の夕刻、東電上層部からの海水注入停止の指示に対し、吉田所長は現場の責任者として、また技術者の立場から注水の継続が必要と判断し、上層部の意向に反して独断で海水注入を継続した。英断だ。
菅直人オフィシャルブログ「今日の一言」-吉田所長の死を惜しむ
吉田所長の活躍という点では私も菅氏に同感するが、政府が関わる大事故対処の指揮系のあり方としては奇妙な印象を持った。表面的にだが、吉田所長の行動は指揮系に対する違反に見えるからだ。このことが日本の社会ではさほど指摘されなかったように思えたのも奇妙だった。
加えて奇異な印象をもったのは、指揮系と関連して、事故対処の最終責任者である菅元首相の立場についてだった。吉田所長に命令を下す指揮系は東電上層部であり、直接的な指揮系としては菅元首相が率いる内閣府から独立している。だが、その東電上層部の活動と決断については内閣府の長である菅氏が最終的な責任をもつはずである。機構上、菅氏は東電上層部の決断の信頼が前提になっている。しかしこの述懐からは、菅氏がそう考えてはいないことは明らかだ。いったいどこからこの菅氏のような発想が出てくるのだろうか。さらに吉田所長と菅元首相はどのような規範で指揮系に反する行動をしていたのだろうか。関連して菅氏はこうも吐露した。
私が吉田所長に最初に会ったのは事故発生翌日の早朝、福島第一サイトの免震棟でだ。東電本店から官邸に来ていたスタッフに何を聞いても全く要領を得ない中、吉田所長は状況を明確に説明し、ベントの実行を確約してくれた。この男なら信頼できると強く感じた。
吉田所長とは東工大の同窓でもあり、病状が回復されたらゆっくり話をしたいと思っていた。
これはあくまで菅氏から吉田所長への思い入れに過ぎないが、菅氏としては吉田所長と直接的な信頼で結ばれているという心情を表明している。
私は「またあれか」と思った。また、タテ社会の人間関係の心情ではないか、と。そう考えれば各種の違和感が解ける。本書が描く「タテ社会」とは何かについてから見ていこう。
「タテ社会」における指揮系統の問題
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