〈『いだてん』第27回「替り目」あらすじ〉
アムステルダム五輪での水泳選手団の活躍を受け、田畑政治(阿部サダヲ)は次回ロサンゼルス大会での必勝プランを練る。同じころ、現役を引退した金栗四三(中村勘九郎)のもとに兄・実次(中村獅童)が上京し熊本に戻るよう告げるが、後進の育成の夢を抱える四三は葛藤する…
当人の目の前で、改まって何かを言うのは難しい。夫婦やきょうだいならなおさらだ。だから、当人がいないところで言う。
志ん生の「替り目」に出てくる男もそうだ。「ほほほほ、買いにいっちまいやがった」。男は、女房が買い物に出たのを見届けてから、ようやく反省する。「この飲んだくれを世話してくれるのは、三千世界広しといえども、世の中に女房ほどありがたいものはないねえ」。ただし、すぐに口調が改まるわけではない。「世間のね、方々のおかみさんたちが、『ああたんところの奥さんは、ほんとに美人ですね、あなたには本当にもったいないですよ』ふふん、言ってやがる」。おかみさんたちのことばを借りて「ですよ」と改まってみる。しかし、また「やがる」に戻ってしまう。そこから「思うからね」「思うけれども」「しょうがないんだよ」「思ってるよ」「思うね」などと言っているうちに、ついに男は謝りだす。「おかみさん、すいません、あなたのような美人を」。ここが調子の「替り目」だ。ついに語尾が改まる。「わたし、影では、詫びてますよ。許して下さい。ええ、すいませんね」。そして、ふと見ると、まだ女房がいるではないか。「ほんとうに…おいまだいかねえのか、おい!」
『いだてん』の孝蔵もそうだ。最初の調子は投げやりだ。「あー行っちまいやがった。あー行っちゃった行っちゃった」。女房のおりんが出て行ったのを見届けてから、ようやく子ども相手に反省してみせる。 「はあーしかし何だねえ、うん? みっちゃんきみちゃん、こんな甲斐性なしの飲んだくれの世話してくれんのは、三千世界広しといえども、いやあ、かあちゃんしかないんだよ、うん」。そして次第に口調が替わってくる。「分かってますよって。ねえ。普通こんなことじゃ一家心中ですよ。そんなことも考えたこともあるのかもしれないけれども、口には出さない、ええ、できた女房ですよ」。「ですよ」と語尾が改まったところで、ふと見ると、その改まった「ですよ」を女房が聞いてる。「本当、すまないと思ってますよ…って、まだ行かねえのかい!」
落語の「替り目」ならこれでサゲなのだが、ドラマには続きがある。おりんは、孝蔵が「ですよ」と改めた語尾をそっくりそのままいただいて言う。 「あたしは、寄席に出て欲しいんですよ。高座にも出て欲しいんですよ。それだけなんです」
孝蔵の酔った「ですよ」に、おりんはしんみりと「ですよ」で返す。孝蔵は、ぐうの音も出ない。
照れ隠しが隠すもの
兄弟であっても、自分が相手のことをどう思っているかを改まって言うのはむずかしい。兄の実次はなぜ大声なのか。実次にとって、弟の四三を、叱咤激励することはできても、自分がどれだけ相手のことを思っているかを改まって伝えるのは照れくさい。だから実次は、上京するなりいきなり「金千八百円、持ってきたばい!」と大金をつきつけて、四三をたまがらせる。「用事のあったけん、まあ帰る前にちょっと顔ば見に寄っただけたい!」と、なんでもないことのような振りをして、わざわざ遠く熊本から、四三が長く会っていない息子の正明を連れてきて、会わせてやる。大声で、何の隠し立てもないように叫ぶのは、実は照れ隠しなのだ。
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