photo by 飯本貴子
特殊な能力を持っている子も そうでない子も全く等価
長谷川 私が今、気になっていることについて、茂木さんに意見をうかがいたいのですが、ある人が生まれながらに持っている個性に対して、それを努力や訓練によって少しでも標準に近づけなさいという圧力が、日本の社会は非常に強いですよね。社会は標準から外れることを許さず、できるだけ標準に近づけようとする。その中で、その人が苦しんでいる。
茂木 例えばそれは、学習障害や発達障害ということですか。
長谷川 それも含みます。外から見てわかりづらい障害の場合には特に、気持ちの問題だとか努力が足りないと言われてしまう。
茂木 先ほど、長谷川さんは、発達障害を「発達個性」と呼ぶと言われていましたが、僕も全く同意します。
よく挙げる例はディスレクシア(※17)です。例えば俳優のトム・クルーズさん、スティーブン・スピルバーグ監督をはじめ、すごい能力を発揮されている方が多いですよね。それはなぜかというと、文章が読めない、成績が悪い、だけどその分真剣に人の話をよく聞くから。トム・クルーズさんなら、監督に役柄について聞いて、それを自分なりに理解して、咀嚼して、演ずるという能力が発達していると思うんです。
僕は、いろんな個性を持った人をある典型的な状態、標準に近づけようとするのは愚かなことだと考えています。昔、オーストラリアでアボリジニ(※18)の人を、アボリジニの文化から隔離して白人の家庭で育てるという愚行をしたことがありましたが、それに近いぐらい愚かなことだと現時点で断定していい。
長谷川 私も心から同意ですね。ただそこで気になるのは、トム・クルーズさんやスピルバーグさんなど、成功した方の例を挙げると、「あの人はそういう秀でたものがあったからで、私にはない」という声が聞こえてくることです。
茂木 そうですね。わかりやすい例をと思って名前を挙げました。高機能自閉症の子がサヴァン能力を持っている──カレンダー計算ができるとか、写真的記憶があって見た風景を絵で描ける──といいんだけど、そうじゃない高機能自閉症の子はどうなのか、という議論と近いものがありますね。 cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。