人を分類することが 「生きづらさ」につながる【第4回】

茂木健一郎さんと長谷川博一さんの新刊『生きる──どんなにひどい世界でも』(7月19日発売)から、第1章「なぜ この世界は生きづらいのか」の続きです。生きづらさを感じる人に「ADHD」「学習障害」などの診断名がつくことがあります。「統合失調症スペクトラム」といった言葉もあります。そうした「個性」は治さなければいけないものなのでしょうか? (火・木・土更新)

photo by 飯本貴子

人を分類することが 「生きづらさ」につながる

長谷川 スペクトラムという言葉、日本でも耳にする機会が増えましたね。自閉症やアスペルガー症候群(高機能自閉症)などを統合して「自閉症スペクトラム(※4)」と呼ぶようになりましたし、「統合失調症スペクトラム(※5)」という表現もあります。すべての人がその程度の強さによってどこかに位置づけられ、明確に線を引くことができないのでスペクトラムという表現に置き換えられたわけです。

 元来、人の性格や個性には無限の軸があって、全く同じ人がいるわけがない。その中で、たまたま複数のある軸で数値が極端に高かったり低かったりということがあり、症候群として表面化することが診断名になっているだけに過ぎません。

 統合失調症もそうだと思うんですよ。例えばその陽性症状(※6)の一つである妄想をとってみても、確信度には違いがあるし、空想との線引きは難しいじゃないですか。診断はある意味極端な「類型論」だと思うんですよね。

茂木 その類型がひとり歩きして、生きづらさを増しているように思います。

 例えば「天才」ってその類型の一つじゃないですか。今は「東大生は天才だ」とか「小学生で英検一級って天才だ」とか世間で言われる。僕はそもそも、それ自体が嘘つけって思っちゃうんだけど、僕らの子どもの頃って、「いかに天才と呼ばれる人たちがさまざまな問題を抱えて人生を歩んでいたか」ということを本で読んでいましたよね。長谷川さんがおっしゃったような類型を超えた人間像がそこにあった。

 偉人伝を読むと、みんな個性も苦労したことも一人ひとり違う。ところが最近、例えば「自閉症スペクトラム」だと、スペクトラムとわざわざ呼んでいる多様性の部分は忘れ去られて、「自閉症」というラベルで人を分類しようとする傾向が強くなっている。それが生きづらさにつながっているような気がしているんです。

 人間って分類できませんよね。脳科学者だってそうです。僕が生きづらさを感じる一つに、「脳科学者としてどう思われますか」と聞かれるときがある。すごく嫌な感じがするんです。僕は別に脳科学者として生きているだけじゃなくて、いろんなことを考えて生きてきたし、昔は物理学や法律も学んだ。でも、メディアの中で「脳科学者としての発言を求めます」と言われたときに、すごく生きづらさを感じる。人は、他人にラベルや定型を押しつけられたときに、「そんなんじゃないわよ」って言いたくなるんじゃないかと思うんです。

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生きる──どんなにひどい世界でも

茂木 健一郎,長谷川 博一
主婦と生活社
2019-07-19

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生きる──どんなにひどい世界でも

茂木健一郎 /長谷川博一

「生きづらさ」の正体は何なのか? 現代社会の病理はどこにある? 脳科学者と臨床心理学者が出会ったとき、いのちが動きはじめ、世界の見え方が変わります──。7月19日発売の書籍を全文公開。

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blue_new_moon3 大切な視点です😺 5ヶ月前 replyretweetfavorite