文学者」の使命【後編】

言葉によって制御できない反射的な感情、「憐れみ」。後編は、「憐れみ」と同じく、人が制御できない「性欲」のありようを考察しながら、人間の本質に迫る広義の「文学者」の使命へとたどり着きます。
広大なネット空間から無限の情報を引き出せる時代、私たちはどのように「うまく生きていく=検索をかける」べきなのか。縦横無尽に活躍を続ける評論家・東浩紀さんによる連載放談です。

言葉だけでは豊かになれない

 人間は言葉の動物です。しかしそれにはメリットとデメリットがある。人間はあまりに高い記号処理能力をもっている。だから解釈に解釈を重ねて、すべてをメタ解釈の争いにもっていくことができる。「おまえのやっていることは正義ではない」という非難に対して、「そもそも正義とはなにか」「そもそも正義は定義できるのか」「そもそもおまえは告発する権利をもっているのか」……といくらでもメタレベルで答えを返し、非難をはぐらかすことができる。

 そのような論争はある意味で「楽しい」。論壇はそのようなゲームだけでできています。僕自身も昔はそれを仕事にしていました。
 けれどもこの数年、そういう仕事にはうんざりし始めています。

 だからこそ、この四月のチェルノブイリ取材はとても刺激的でした。これからもこういった、身体を動かして新しい事実を発見する仕事を積極的にしていきたい。
 言葉の操作だけでは、人間は本当の意味で豊かになることはできない。具体的なモノに直面することではじめて、自分が思いもよらなかったことに興味や関心をもつようになる。
 連載のテーマに引きつけて言えば、検索ワードを獲得できる。手持ちの言葉を組み合わせていくら巧みに検索をかけてもだめなんです。そのことに気づいて以降、仕事に対する考え方も変わってきました。


人は無意識に駆動されている

 さきほどから主張していることは、基本的にはとてもシンプルです。言葉は信用できない。人間は物理的なモノしか共有できない。そして他人が血を流していると見過ごせない……。
 あまりにも当たり前のことで、哲学を勉強してそれが結論かと呆れるかもしれません。しかし、このシンプルな原理を見落とすと、話はどんどん混乱していくのです。いまの現代思想の混乱の原因はそこにあります。

 ところで、いま「モノ」と述べていますが、たとえば欲望もモノの一種だと考えることができます。言葉により制御できないからです。
 ルソーは一般意志とはモノだと述べているのですが、彼はまた文学史的に見ると、性についてはじめて赤裸々に書いた文学者でもある。これはとても重要なことで、彼が「憐れみ」を重視することも性について書くことも根はつながっている。ルソーはとても唯物論的に人間を捉えていたひとなんですね。

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検索ワードをさがす旅【第2期】

東浩紀

検索すればあらゆることがわかる時代。日々たくさんの情報に埋もれているけれど、果たして本当に欲しい情報はなんなのか。その検索ワードはどこから思いついたのか。テーマはズバリ、「若者よ、スマホを持って旅へ出よ」。ただし、自分や目的を探すので...もっと読む

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