明石家さんまこそ、「絶望大王」である
—— さんまさんに関するお話も聞きたいと思います。『タモリ論』の中に書かれているエピソードは、知らないことが多くて新鮮でした。
樋口 これ、ぜんぶ、テレビの中で言ってる話なんですけどね。実の弟さんを火事で亡くしたという悲しい経験をしたから、娘に「生きてるだけで丸儲け」という意味で “いまる” という名前をつけたとか。
あとは、書かなかったけど、家では子供たちに「ボス」と呼ばせている話とか。これは、大竹しのぶさんと結婚したときに、大竹さんの連れ子が自分のことを「お父さん」とは呼びにくいだろうという配慮から、「ボス」と呼ばせていたんじゃないかと、大竹さんが自伝で語っています。もちろん、さんまさん本人は自分では言いませんけど、「わし、家ではボスって言わせてまんねん」とテレビで言ってましたよ。
—— さんまさん自身は、あまり立ち入ったプライベートなことを公で語りませんよね。
樋口 あれだけおしゃべりな人が、私生活のことはあんまり語らない。本当はさんまさんこそ、いちばんつらい経験をしてきた「絶望大王」のはずなんです。でも、さんまさんは「自分は人を笑わせるために生まれてきた」って語ってるような人ですから。
あれだけプライベートを見せない人というのは、高倉健さんや吉永小百合さんくらいじゃないでしょうか。その点でも、さんまさんは最後の “スターらしいスター” ですよ。
—— そうした、さんまさんやたけしさんの個性と比べることによっても、タモリさんという人間を浮き彫りにしようとしたのがこの『タモリ論』です。ただ、タイトルに「タモリ」という名前を冠しておいて、どうしてここまで多くのページをたけし論、さんま論に割いたんですか?
樋口 この本を書き進めているうちに、「同時代の人々についても書かないと、タモリさんを語ることは無理だな」って気づいたんです。たとえば、夏目漱石論には、必ず森鴎外が出てくるじゃないですか。それから、今でこそ村上春樹論っていうのが単独で出ていますけど、10年くらい前までは、「W村上の時代」として村上龍についても一緒に語らないといけなかった。そうしないと、時代の流れが見えないんですよ。
BIG3に関して言えば、去年の27時間テレビで3人が同じ画面を飾ったときは、「神々がそろった」と興奮しましたけどね(笑)。
「熱く語ろう、冷たい金玉」
—— 樋口さんは、『タモリ論』のまえがきでも、「海について知るものは賢者だが、海について語るものは馬鹿だ」という、漫画『人間交差点』(原作・矢島正雄/作画・弘兼憲史)の言葉になぞらえて、「笑いについて知るものは賢者だが、笑いについて語るものは馬鹿だ」と書かれています。
樋口 笑いは、芸術の中でももっとも難しいものなんです。それを語ることは、海について語ることと等しい。一方、いちばん簡単なのは、泣かせること。誰にだってできるんですよ。動物と子どもと不治の病と貧乏を出しとけばいいのだから。人を泣かせようとするのは、才能のない人間のする最低の手口です。
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