裁決の時|4−4

戦後、BC級戦犯裁判で浮かび上がった、驚愕の真実。法の正義はどこにあるのか──。一人の若き弁護士が、“勝者なき裁判”に挑む。昭和19年3月、大日本帝国海軍の重巡洋艦「久慈」は、インド洋でイギリス商船「ダートマス号」を撃沈。救助した捕虜を殺害した。戦犯弁護人として香港にやってきた若手弁護士の鮫島は、裁判資料を読み込むうちに、この事件の──大日本帝国海軍の──抱える闇に気づいていく。圧巻の歴史小説!(水・金 10時更新)

 鉄の扉のきしむような音が神経を逆撫でする。裁判所内の拘置所とはいえ、未決囚だけでなく判決の出た死刑囚も収監しているためか、警備は厳重だ。

 死刑判決が出たことで、五十嵐は手首には手錠を、足には足鎖をはめられていた。しかも体にも鎖を巻き付けられており、その姿は直視できないほどだ。

 拘置者と接見者の間はアクリル板で仕切られ、下方にわずかな隙間があるだけだ。その上、接見室は狭く、背後でエスコートが小銃を肩に掛けたまま控えている。

「五十嵐さん──」

 鮫島の顔を見て、五十嵐の顔がほころぶ。

「鮫島君、ありがとう」

「何を仰せですか。私は何のお役にも立てませんでした」

「判決のことかい」

「はい。これでは何もしなかったのと同じです」

 鮫島が肩を落とす。五十嵐を前にして、あらためて口惜しさが込み上げてくる。

「判決など、どうでもいいじゃないか」

「えっ──」

「それよりも煙草を持っていないか」

 鮫島は胸ポケットから煙草の箱を取り出すと、わずかに開いた隙間から、それをねじ込んだ。

「ありがとう」

 五十嵐が、手錠を引き上げるようにして煙草に火をつける。

「五十嵐さん、力が足らず申し訳ありませんでした」

「何を言うんだ。君はよくやった。結果は初めから分かっていたんだ」

「だとしたら、私は五十嵐さんの心を乱してしまっただけでしょうか」

 五十嵐がうまそうに煙を吐き出す。

「そんなことはない。この作戦の責任者として、私は死刑を覚悟していた。六十九人の犠牲者に対して、誰かが罪を償わねばならないんだ。それができるのは、私しかいないだろう」

「しかし五十嵐さんは、罪など犯していません」

「そのことについては、もう何も言うまい。それよりも、乾君が懲役刑になっただけでもよかったじゃないか」

「乾さんは──」

「それは言うな。彼は立派に職務を全うしたんだ。きっと彼は、残る人生を日本の発展のために捧げてくれる」

「五十嵐さん──」

 五十嵐の心中では、様々な感情が渦巻いていることだろう。だが若い弁護人に対し、みっともない態度を取りたくないのだ。

 ──最後まであなたは帝国軍人、いや日本人でありたいのですね。

 鮫島が声を絞り出す。

「私のやったことは、徒労ではないのですね」

「当たり前じゃないか。多くの弁護人たちが初めから勝負をあきらめ、おざなりに仕事をする中、君だけは法の正義を武器に真実を追求しようとした。その姿勢は、イギリス人たちにも感銘を与えたに違いない。それはまた、これからの日本が国際社会の一員に復帰する上で、どれだけ大切なことか。欧米諸国は日本を蔑視し、対等な国家として扱わないつもりでいただろう。だが一人の若者が敢然と立ち向かったことで、認識を改めるに違いない。この戦いは──」

 五十嵐の瞳が光る。

「われわれが戦った戦争よりも大きなものだったんだ」

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この連載について

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真実の航跡

伊東潤

一人の若き弁護士が、“勝者なき裁判”に挑む。圧巻の歴史小説! 太平洋戦争中に起きた非道な捕虜殺害事件。 戦後、BC級戦犯裁判で浮かび上がった、驚愕の真実。 法の正義はどこにあるのか――。 昭和19年3月、大日本帝国海軍...もっと読む

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