五十嵐の死刑執行日は、予想に反して翌昭和二十三年(一九四八)の一月二十三日に決まった。
クリスマス前というのが大方の予想だったが、イギリスの軍事法廷では、「コンファメーション」という制度が取られており、それが年内に行われないことになったからだ。
「コンファメーション」とは、判決が下った後、シンガポールのイギリス軍司令部にいる副法務長や確認官が、起訴事実や裁判の手続き面で間違いが起こっていないかどうかを書類上でチェックすることだ。これにより刑が最終的に確定する。むろん、よほどの理由がない限り、判決が覆ったり、公判がやり直されたりすることはない。
いかなる理由から、「コンファメーション」が行われないのかは分からないが、欧米では十二月初旬からクリスマス休暇に入る者がおり、その影響かもしれない。
──年を越せるということが、五十嵐さんにとってよかったのかどうか。
五十嵐にとっては、それが逆に残酷なようにも感じられる。
そう思っているところに、オーダリーがたくさんの手紙を持ってきた。達筆なので、どれも五十嵐の筆になるものだと分かる。その宛名は、妻や息子といった肉親から友人と思われるものまであり、五十嵐は手紙を書くことで、残された時間の中に、生きがいを見つけようとしていると分かった。
オーダリーによると、国際的な郵便が不安定なので、これらの手紙を日本に着いたら出してほしいと、五十嵐が頼んでいるとのことだった。
──手紙を書かせてもらえるくらいなら、酷い仕打ちを受けているわけではないな。
鮫島は安心した。
──五十嵐さん、心安らかな日々をお過ごし下さい。
五十嵐が収監されているスタンレー・ジェイルに向かって、鮫島は頭を下げた。
あっという間に一週間が経ち、河合が帰国する日になった。
ずっと気まずい関係だったので、鮫島は見送りに行くか行くまいか迷っていたが、やはり行くことにした。日本に帰国すれば、否応なく仕事上の付き合いができる。それなら、この地でできたわだかまりは、この地で終わらせる方がいいと思ったのだ。
冬のコーズウェイ・ベイは北風が吹き、湾内でも波が荒れていた。
鮫島が遠慮がちに桟橋を歩いていくと、日本人関係者に囲まれていた河合が歩み寄ってきた。
「やはり来てくれたか」
「ああ、それが礼儀というものだろう」
「君の帰国は来年になると聞いた」
むろん河合は、その理由を知っているはずだ。
「うむ。俺はここで年を越すことになった。君は日本で正月が迎えられるな」
「今、日本に戻っても、ゆっくり正月を過ごすことなどできないだろう」
河合が自嘲気味に答える。もちろん鮫島への慰めなのは言うまでもない。
「俺には急いで帰る理由もない。俺が立ち会うことで、五十嵐さんが少しでも気が休まるなら、それに越したことはない」
「それがいい。五十嵐さんは君を信頼しているようだからな」
「ああ、未熟な俺でも信頼してくれた」
その期待に応えられなかった口惜しさが、再び込み上げてくる。
「死刑という判決は無念だろうが、弁護人は被告から信頼されてのものだ」
「君の方こそ、そうだろう。今、乾さんはどうしている」
「収監されて刑期を過ごしている。もう会うこともないだろう」
河合がため息をつく。
「どういうことだ。懲役刑なら会うこともできるだろう」
「互いに会いたいとは思えない間柄なんでね」
河合は自嘲すると、こちらで覚えた葉巻に火をつけた。
「やはり乾さんは、扱いが難しかったのか」
「うむ。意見や方針が一致しなくて苦労した。でも懲役刑で収めることができたのは幸いだった」
「そうした関係でありながら、君はベストを尽くしたんだな」
「それが弁護人てもんだろう」
「その結果、乾さんは懲役刑で済んだ。君に感謝していいはずだが」
「感謝だと」
河合が疲れたような顔で煙を吐き出す。
「乾さんが俺の言うことを聞いてくれていたら、刑はもっと軽くなったはずだ」
「そうだったのか。自らの考えを貫いて自らの罪を重くするのも、乾さんらしいな」
「ああ、そうだ。懲役刑なら減刑もあるしな」
河合の言葉が腹の底に響く。
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