香港での正月は寂しいものだった。昨年のクリスマス直前、オーダリーたちも帰国し、日本人通訳も残務処理に携わる数人を残して帰っていった。
まだ残っている公判はあるものの、目に見えて戦犯裁判の関係者は減ってきていた。
正月早々、「コンファメーション」が済んだという通知が来た。「コンファメーション」は、まさに判決をコンファーム(確認)しただけで、判決に至るまでの裁判手続きには、何一つミスはなかったようだ。
これで五十嵐の死刑が確定した。
死刑執行日の一週間ほど前、鮫島のところに五十嵐から便りが届いた。
「拝啓 昨年中はお世話になりました。判決は残念なものになってしまいましたが、あなたと真実の航跡を追う旅は素晴らしいものでした。それゆえ私は意気軒昂としています。食事は残さず食べていますし、よく眠れます。待遇も悪くはありません。いよいよ執行の日が迫ってきましたが、私は悲観もせず、煩悶もせず、誰かを恨むこともありません。残る日々を不快に過ごすも、愉快に過ごすも心の持ちようです。それなら私は愉快に過ごしたい。日々、明朗元気を期して過ごしています」
それがどれほど本音なのかは、鮫島にも分からない。
「これまでの五十八年の生涯を振り返ると、山あり谷ありで順風満帆というわけではありませんでした。しかし周囲の人々の好意に恵まれ、幸せで充実した人生が送れたと思います。このまま隠居して生き永らえたとて、それは人生の余禄にすぎず、もはや燃え殻でしかないでしょう。それを思えば、五十八歳という年齢はちょうどよいのではないかと思います。敵味方問わず、多くの若者たちが『もっと生きたい』と思いながら死んでいきました。帝国海軍の中将として申し訳ない気持ちでいっぱいです。償いの形は様々ですが、私のような死を迎えるのも、償いの方法の一つだと思います。私が満足しているのは、私は罪人として死ぬのではなく、責任者として死に臨むことができることです。そこには何ら恥ずべきものはありません。これもひとえに貴君のお陰です」
手紙の中の五十嵐は饒舌だった。普段は寡黙な五十嵐だが、様々な思いが頭の中では渦巻いているのだろう。処刑されるという事実を、懸命に納得しようという気持ちも伝わってくる。
「最近、考えるのは日本の将来です。われわれの世代が日本をこんな姿にしてしまったことは、慙愧に堪えません。だが絶対に捨てねばならないのは、復讐や報復の感情です。戦犯者の中にも、不公正な裁判や刑務所での虐待行為に恨みを抱き、子孫の代には『必ずこの恨みを晴らすべし』などと肉親に向けて手紙に書く輩がいます。それはとても悲しいことです。報復感情は何も生み出しません。かくのごとき狭い心では、日本人が国際社会に参加することも叶わないでしょう」
五十嵐は同じ処刑予定者に対しても手厳しかった。
──その通りだ。だがそれが分かっていても、そうは思えないのが人ではないか。
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