PHOTO:SHINTO TAKESHI
第21回 その客は、ひとりでやってきた
緑子のほうをみると、部屋のはしっこにあったビーズクッションにもたれて、さっきとおなじようにペンをもち、膝を支えにしてノートを広げている。ジャッキーカルパスをいくつか手のひらにのせて、食べる? とみせると、少しだけ迷ったあと首をふった。わたしはテレビをつける代わりに、机の横に積んであったCDのいちばんうえにあった『バグダッド・カフェ』のサントラをセットして再生ボタンを押した。ぽんぽんぽんぽん、という前奏のあとすぐにジェベッタ・スティールの声がのびてくるのを確認して音量を調節し、ちゃぶ台に戻った。
「わたしが焼肉屋で働きだしたぐらいやっけ」と巻子が柿の種を指先でつまんで口のなかにぱらぱらと落としながら言った。「おかんが死ぬ何年かまえらへんが、いちばんきつかったような気がするわ、お金な」
「家具に、赤いの貼られたこともあったよな」
「なに、赤いのって」
「差し押さえのやつ。男の人らが何人かで来てクーラーとか冷蔵庫とか、なんか物色して換金できそうなんにシールみたいなん貼っていくやつ。来たことあるで」
「そんなんあったん。知らんかった」巻子はちょっと驚いた顔をして言った。
「巻ちゃん昼間は高校で、夜は焼肉やったから。おかんもコミばあもおらんかった」
「昼間に来たん?」
「そう。わたし家におったから」
「でもまあ、言うたらきりないけど、女ひとりでようやったよな、おかん」と巻子がどこか感心したように言った。だから早死にしてもうたんやんと言いかけて、わたしは口をつぐんだ。
◯ 学校で休み時間、みんなで将来なんになるとか、そういう話になった。これになる、とか、なんかをはっきり決めてる子はおらんみたいで、わたしも何もない。ユリユリに、みんながあんためっちゃ可愛いねんからアイドルになったらええやん、みたいなことゆうて、えー、みたいなやりとり。
帰り、純ちゃんに将来なにして稼ぐん、ときいてみたら、寺つぐ、と言った。純ちゃんちはお寺さんで、おじいちゃんとかおっちゃんとか、お坊さんスタイルでバイクに乗って坊さんマントみたいなやつをはためかせて走ってんのよう見かける。まえにお坊さんの仕事って何すんのってきいたら、葬式、法事でお経よむんやでとのこと。
わたしはまだ誰の葬式にも法事にも出たことがない。どうやってなんの、ってきいたら、高校卒業したらそういう合宿みたいなんいって、こもって、修行みたいなんするねんて。女の人でもなれるん、てきいたら、なれるってこと。
純ちゃんによると、お寺っていうのは仏教で、仏教にもいろんなむずこい種類があって、そもそもはゴータマが悟りをひらいて、それにつづけと弟子たちも修行して、それが今までつづいてると。悟りっていうのはまあ、純ちゃんの説明をわたしなりに考えてみると修行の果てに、びかーん、ときて、ぜんぶがいちで、いちがぜんぶ、っていう考えじたいすらもなくなる、ぜんぶわたし、わたしはない、みたいな状態になることらしい。
で、成仏ってのもあって、それが悟りとどうちがうんかはいまいちわからんけど、まあ、そうなることが仏教の目標。お葬式でお坊さんがお経をよむんも、その死んだ人がちゃんと成仏するように、仏さまになれますようにってことらしい。
わたしがびっくりしたんは、じつは女の人は死んでも成仏ができんのらしい。そのわけが、ひとくちでいうと女の人というものが汚いからやと。昔のえらい人らがなんこもなんこも女の人がなんで汚いか、なんであかんかってことをずらずら書き残してるんやと。
で、どうしても成仏したい場合は男に生まれかわる必要があると。なんやねんそれ。わたしはびっくりしてもうて、そんなんどうやって男になるん、ときいてみた。純ちゃんもようわからんと言った。純ちゃんに、純ちゃんあんたそんなあほみたいなん信じるん、すごいな、と言ったらちょっと空気が悪くなった。
緑子
緑子はビーズクッションに背中を埋めたまま上半身をひねり、本棚の一番下の段に詰められた本の背表紙を眺めていた。
本棚の下のほうには、おそらくもう読み返すことのない古い文庫本がしまってあった。ヘルマン・ヘッセ、ラディゲ、夢野久作の文字が日に焼けて薄くなっている。蠅の王、高慢と偏見、ドストエフスキー。賭博、地下室、カラマーゾフ。チェーホフ、カミュ、スタインベック。オデュッセイアにチリの地震。
一冊一冊は言わずもがなの超絶弩級の作品だけれど、あらためてひとところに集まったタイトルを追うと、恥ずかしいのを通りこして気の毒になるような初心者のラインナップで何とも言えない気持ちになる。それでも変色したカバーや背表紙を眺めていると、何かに追われるように試されるように読んだときの気持ちがほんのり甦る。
コンクリートの階段に長いあいだ座っていたせいで冷たくなったお尻の硬さや、かすかな足のしびれをありありと思いだせる。そう思うとまたいつかすべてを読みかえしてみたいという気持ちになるから不思議なものだ。
それらの文庫本は大阪時代に古本屋でこつこつ買い集めたものが多いけれど、フォークナーの八月の光、それとマンの魔の山とブッデンブローク、これらは店に来ていた若い男の客がくれたものだ。母親とコミばあがいなくなったあと——あれは、わたしが高校にあがってすぐくらいの時期のこと。顔はもちろん、名前だって一文字も思いだせないその客は、通りに出している店の電飾看板をみて、ひとりでやってきたのだった。
カラオケをするわけでも冗談を言うわけでもなく、ホステスが相手をするボックス席にも座らずに、カウンターに座って飲み放題三千円のホワイトホースの水割りをちびちび飲むだけのその客は、あるとき厨房のはしっこで本を読んでいるわたしに小さな声で何を読んでいるのかを訊いてきた。その頃のわたしはとくに読書が好きというわけじゃなかったけれど、店に出勤するときにはいつも学校の図書室で借りた小説をもってゆき、洗い物や客がとぎれたときなんかに読んでいることがあった。
店では、わたしは十八歳ということになっていた。二十五歳の姉とふたり暮らしであることも日の浅い客には言わないようにと店のママから言われていた。しょうもない客もおるからなとママは言い、わたしと、たまにバイトで店に来る巻子に話をあわせるように説明した。
生まれ年を訊かれたら二歳年うえになるように昭和五十一年と即答して、母親は乳がんで数年まえに死んでしまい(これは本当)、父親はタクシーの運転手をしていると嘘をついた。
ちょうどその頃、わたしは原因不明の残尿感に悩まされていた。病院へ行っても異常はなく、いつのまにか始まったその症状は、それから数年間つづくことになった。そう言えばちょうどおなじ時期、焼肉屋の社員になって朝から晩まで働いていた巻子は、口のなかにひっきりなしに氷を入れて噛むのが癖になっていた。寒くても眠たくても止められないと言いながら、巻子は氷をがりがり噛みつづけていた。
残尿感のつらさはなかなかのもので、どれだけ便座に座っていても出る尿なんかもう一滴だって残ってないのに、しかしパンツをあげて外に出ると、またすぐにトイレに行かなければならないような気持ちになるのだ。それは尿意に似てはいるけれど違うもので、とにかく不快としか言いようのない感覚が尿道あたりに立ちこめる。どうにもじっとしていられなくなる。
暗い気持ちでトイレに戻って便座に座っていると、数分後、ぴちょんと尿が絞りでて、そのあとにやってくるのはまるで——大阪じゅうの嫌悪感とか怠さとか、苛立ちともやもやとかそういったものをぜんぶ煮こんで液体にして、それをひたひたに沁みこませたおむつをずっと穿かされているみたいな、うんざりするような不快さなのだ。そんなことをくりかえすうちに、トイレに本をもちこむことが、あるいはどこででも本をひらいていることが多くなった。
小説を読んでいると、うまくいけばそのまま残尿感から解放されることがあったのだ。
お知らせ
パートナーなしの妊娠、出産を目指す夏子のまえに現れた、精子提供で生まれ「父の顔」を知らない逢沢潤——生命の意味をめぐる真摯な問いを、切ない詩情と泣き笑いに満ちた極上の筆致で描く、21世紀の世界文学。『夏物語』発売を記念して、7月26日18時半から、ジュンク堂池袋本店にて、サイン会が開催されます(こちらから)。