PHOTO:SHINTO TAKESHI
第17回 中華料理店にやってくる人々
「っていうか、めっさあるやんここメニュー」
驚いた巻子の目は通常の倍くらいに見ひらかれ、それから嬉しそうに笑って言った。「食べたことないのいっぱいあるわ、え、でもあのおっちゃん厨房ひとりやろ、運んでくるのはあの人ひとりやろし」
そう言うと調理服と制服のあいだのような白い服を着て、店内を動きまわっているおばさんを示した。
「そうそう、でもめっさ早いで」
「ときどきあるよな、ありえんくらいメニュー多いのに何でもかんでも対応する定食屋とか」巻子が感心したように言う。「テレビでもたまにみるわ。ビーフシチューとお好み焼きとにぎり寿司どうじに出す店とかあるもんな。仕込みとかどうしてんのか意味わからん」
壁にずらりと貼られたメニューをひとしきり読み、それからテーブルに置かれたメニューを念入りに見つめ、わたしと巻子は生ビール、烏賊料理をいくつかと、白湯麺、そのほかには分厚い皮の焼き餃子、そして緑子が指さした中華まんじゅうと、豆腐が縮れ麺になったようなものなどを注文してみんなで分けようということになった。
アパートから歩いて十分ほど、築三十年は優にたっていて完全にボロとしかいいようのない建物の一階部分にあるこの中華料理店は激安であることで人気があり、わたしたちのほかには赤ん坊と四、五歳の男の子がはしゃいでいる家族連れと、会話もあまり弾んでいないように見える中年の男女のカップル、そして大きな音をたててラーメンを吸いこむ数人の作業着姿の男がいた。
入り口すぐのところに前時代的なレジがあり、赤と金の派手な色のついたてのようなものがあり、壁にはひとめでプリント物であるとわかる墨絵に漢詩が添えられた額が飾られている。その横に色あせて全体が水色になったビールのポスター。むかし流行った髪型をしたグラビアアイドルが水着姿でジョッキをもち、白い砂浜に笑顔で寝転んでいる。床は油でぬるぬるとしている。
おばさんに案内されてテーブルにつくと、緑子はウエストポーチから小ノートを取りだし、ちょっと迷ってからまたそれをしまい、プラスティックのコップに入れられた水をひとくち飲んだ。ラーメンをすすっている男の頭上に設置された油と年季ですっかり黒ずんでいる棚には古くて黒い小型テレビがのっかっており、画面にはいつでもどこでも流れているようなバラエティ番組が映しだされていた。
緑子は唇を結んだまま、目線を少しだけあげて面白くもなさそうな顔で人々の笑う顔を眺めていた。かしゃんとガラスのぶつかる音がしてビールがテーブルに置かれ、わたしと巻子は乾杯した。ほんまに飲み物いらんの、と訊いても緑子はテレビ画面に目をむけたまま、軽く肯いただけだった。
カウンターのむこうに厨房の様子がみえる。ところどころにしみのついた白い調理服を着たいつもの店主がいつものように動いている。熱せられた中華鍋から白い煙があがり、放りこまれた食材の弾ける音がする。焼き餃子の鉄板で大量の水がいっせいに蒸発する激しい音が聞こえる。調理台の壁に埋めこまれた電源は油がこびりついて固まり、ここからはみえない足もとの袋に入った野菜を掬うざるは黒く汚れて破けているし、寸胴鍋に細く流れつづけている水道の蛇口はすっかり変色している。
いつやっけ、とわたしは思いだす。バイト先の三歳年下の男の子とふたりでここに来たことがあった。なんとなく夕飯を一緒に食べようという話になり、いつも行ってるところがあると言ったら彼が行ってみたいと言ったのだ。着いてテーブルに座ってしばらくすると、彼の様子が変なことに気がついた。わたしが頼んだ料理にも、結局ほとんど手をつけなかった。あとで理由を訊くと、ちょっと衛生的に無理な気がして、と顔をしかめた。中華鍋をふいてる布っていうか、あれ雑巾でしたよ。あれでふいたあと、そのまま麺炒めてましたよ。そっか、とだけわたしは言って、そのまま黙っていたような気がする。
「そうや、九ちゃん。死んだんやで」
「九ちゃん?」わたしは巻子の顔を見た。顔をむけたタイミングでおばさんがやってきて餃子の盛られた皿をテーブルのうえにどんと置いた。
「九ちゃんて」
「九ちゃんやん」
巻子はビールをぐいとひとくち飲んで言った。
「当たり屋の、流しの」
「あっ」思わず大きな声が出て、わたしは自分でもびっくりしてしまった。
「九ちゃん死んだってそれ、っていうか、まだ生きてたんっていうか」
「そうそう、けっこう齢やったけどさ、こないだ死んでもうたんやでとうとう」
九ちゃんというのは笑橋界隈ではちょっとした有名人というか、あのあたりで飲食店に関係しているものなら必ず知っているというようなおっちゃんだった。
基本的にはスナックやラウンジなどをまわってカラオケの代わりにギターを弾き、主に演歌好きの客を生演奏で歌わせてチップをもらうという仕事をメインにしていたのだけれど、九ちゃんには当たり屋という、もうひとつの顔があった。
笑橋の飲み屋は国道二号線を挟んで南北にわかれており、駅を中心に広がっているのが南側、かつてわたしたちが働き、そしていま現在、巻子が働いている店もそちら側にあった。北側には、窓に鉄格子のついた古い精神病院があったりすることから、街の雰囲気というかノリが南北でいささか違っており、客のほうも南側で遊ぶ人たちは南側、北側の人は北側で終始していて、店同士の付きあいもそんなに盛んではないのだった。
しかし九ちゃんはギターをかついでその両方を行き来し、顔見知りの客から一見の客までを相手に、上手いのか下手なのか当時もいまも見当もつかないギターをかき鳴らし、小銭を稼いでいたのだった。それでときどき、副業というかボーナス的にというか、ふだん交通量の多いその道路が淋しくなる時間をみはからって、しかも地元の車ではなく少し田舎のナンバーの車が来るのを待って、小さな体をぶつけにいった。
人なんかこつんと轢いてしまった日には顔面蒼白に取り乱し、警察よりも何よりもいますぐに病院に行きましょう、残りの人生ぜんぶ使って償いますと言わんばかりに膝から崩れて泣いてしまうような善人を、九ちゃんはちゃんと見極めて選ぶことができた。
保険屋とか警察とかが入って問題になったという話はこれまできいたことがない。もちろん本気の怪我などをしないように受け身の姿勢で小さくぶつかり大げさに転び、示談というかその場でびびたるお見舞い金をもらうというような——模範的といえば模範的な、当たり屋をやっていたのだった。
九ちゃんはナンキン豆の殻を思わせるような小男で、でこぼこした坊主のじゃがいも頭、目はじゃこみたいに小さくて、歯にはたくさんの隙間があった。あれはたぶん九州のどこかのものだと思うけれどなまりがあり、それにくわえて吃音もあり、そのせいもあってか、いつもあいづちを打ってばかりだった印象がある。客とのやりとりも単語や形容詞をつっかえながら恐る恐る置いていくような話しかたで、センテンスをきちんと話しているのを聞いたことがない。
会話らしい会話なんてしたことはなかったけれど、カウンターのなかで皿を洗ったりつまみを作っているわたしたちホステスの娘にもいつもにこにこ笑いかけ、いつもどこかおどおどしていて大人という感じがまったくせず、そんなところにわたしはどこか親しみのようなものを感じていた。九ちゃんの登場には事前連絡というものは当然のことながらなく、だいたい十時とか十一時あたりに肩からギターを掛けて、自動ドアから元気よく飛びこんでくる。
賑わっているときならそのまま溶けこみ、気分良く酔っている客に歌をうたわせ、金をギターのサウンドホールに入れてもらうこともある。店ががらがらに暇、なおかつ重い雰囲気のときには、あっとバツの悪そうな顔をしてしゅんとなり、たぶん「出直してきます」の意味をこめて、あうあう言いながら頭を下げて後ずさりしながら店をあとにした。またママの機嫌がよいときなどはグラスに一杯ビールを入れてもらって、それをおいしそうに飲んでいくこともあった。
お知らせ
パートナーなしの妊娠、出産を目指す夏子のまえに現れた、精子提供で生まれ「父の顔」を知らない逢沢潤——生命の意味をめぐる真摯な問いを、切ない詩情と泣き笑いに満ちた極上の筆致で描く、21世紀の世界文学。『夏物語』発売を記念して、7月26日18時半から、ジュンク堂池袋本店にて、サイン会が開催されます(こちらから)。