PHOTO:SHINTO TAKESHI
第13回 わたしの体はきれいじゃない
「あんた見た? さっきのピンク色の乳首」
巻子はぐっと細めた目で、老女の後ろ姿を見つめながら言った。
「え、見てない、けど」
「すごいよな」と巻子はため息をついた。「天然でさ、黄色人種であの色って奇跡やで」
「そうなん」
「乳輪と境目がないのもいいよな」
「まあ、そうかも」わたしは適当にあいづちを打った。
「最近はさあ、薬で色素ぬいてピンクにしますよっていうのもあるけどさ」と巻子は言った。「でもあれは意味ないわ」
「薬とは」
「トレチノインっていう薬塗って、まず皮をめくってな、そのうえにハイドロキノンっていう漂白剤塗るねん」
「漂白剤?」わたしは驚いて訊きかえした。「皮めくる?」
「べろんてめくるんちゃうで、だんだん、ぼろぼろ粉状になって剥がれてくるねん。トレチでな。いわゆるピーリングのきつい感じ」
「んでピーリングしたうえに漂白剤を、乳首に塗るん?」
「そう」
「それで、なるん、ピンクに」
「まあ、一瞬はな」どこか遠い目をして巻子は言った。「だいたいさ、色が黒いのってメラニンのせいやん? 遺伝やん。いくらハイドロキノンがメラニン潰せるゆうてもさ、人間にはターンオーバーっていうのがあるやん」
「細胞が入れ替わるタイミング的な」
「そうそう、いま表面に出てる、いまみえてるぶんのメラニン、茶色のはさ、そら漂白されて色も薄くなるかもしれんけどさ、でもどうせまた出てくるねん。下から。だって基本のメラニンがあるねんもん。それは変わらんねんもん。だからもし薄いままでおりたかったら、ずうっとトレチとハイドロを塗りつづけなあかんねんけど、そんなんできる? できひんかったわ」
「巻ちゃん、やったん」わたしは巻子の顔を見た。
「やったよ」巻子は湯船のなかでしっかりとタオルで胸を押さえたまま言った。「げきいた」
「げきいた? あ、激痛ってことか、乳首が激痛?」
「そう。授乳もな、も、死ぬほど痛いんねん。噛まれて吸われて血がでて膿んで、かちかちんなってぬるぬるなってかさぶたんなってその状態で二十四時間吸われつづけんねん。あれもありえんくらい痛かったけど」
「はあ」
「こっちは燃えるねん、乳首が」
「燃える?」
「風呂あがりにな、トレチ塗ったら、かあああああって乳首が燃えだして痛くてびきびきんなって激痛で、それが一時間くらいつづくねん。んでそれが収まったらハイドロ塗らなあかんねんけど、今度はもう耐えられへんくらい痒なってこれがもう。それをくりかえすねん」
「それで、色は」
「それはまあ、ちょっとは薄なったよ」巻子は言った。「三週間くらいしたときに。それはまあ、感動したわ」
「激痛と引き替えに」とわたしは感心して言った。
「うん、あきらかに薄くなってさ、わたし自分の乳首みて、うっとりしたわ。買わんのに服屋寄って試着室とか入ってちらっと見たりしてな。あれはうれしかった。でも」
「でも」
「あんなんつづけられるかいな」巻子はまずいものを食べてしまったみたいな顔をして首をふった。「トレチもハイドロも高いし痛いし、拷問かゆうねん。ちゃんと冷蔵庫で保存しとかなあかんし、慣れるとか言う人もおるけど、慣れたら慣れたで耐性やっけ、それができてもう薄ならんっていう人もおるし。
とにかくわたしは無理やったわ。三ヶ月が限界やった。ちょっとだけ薄なった乳首みて、『もしかしたら世界中でわたしだけは何もせんでもこの薄さ持続できるたったひとりのとくべつな人間かも』とか甘い夢みたけど、一瞬でもとにもどったわ」
巻子の胸にまつわる悩みというか問題というか探求心は、大きさだけではなく、色も重要な要素だったのだ。それがいつごろなのかはわからないけれど、わたしは風呂あがりに冷蔵庫からふたつの薬品を指先にとって乳首に塗り、激痛と痒みにもだえながら耐えている巻子を想像してみた。
いまや高校生でも整形手術をする時代なのだから、乳首が燃えるくらいなんでもないことだという見方があるのもわかるけど、しかし巻子である。なぜ巻子がいまさらそんなことをしなければならないのか。
もちろんわたしだって、自分の胸について悩みというか、思うところがないわけではない。いや、正確に言うと、思ったことがないわけではない。
自分の胸が膨らみはじめたときのことはよく覚えているし、いつのまにかしこりのようなものができていて、ちょっとした拍子に何かが当たると異常に痛かったこともしっかり覚えている。子どもの頃、近所の子どもたちと一緒にふざけながら覗いた写真雑誌の女性のヌードやテレビに映る大人の女の人の裸を見るたびに、いつか自分の体もあちこちがあのように膨らんで、ああいう形になるのだと、ぼんやりと思っていたこともある。
でも、ああはならなかった。子どものわたしが漠然と、そして唯一もっていた大人の女の裸のイメージと、じっさいに変化した自分の体は、まったく違うものだった。べつのものだった。わたしの体は、わたしがなんとなく想像していた女の体にはならなかった。
わたしが想像していた体とは何か。それは写真誌なんかに登場する女の体で、身も蓋もない言葉でいうと、一般的に「いやらしい」とされる体であり、性的な想像をかきたてられる体であった。欲望される体だった。なんらかの価値がある体というふうにも言えるかもしれない。女はみんな大人になると、あんなふうになると思っていたのだ。でもわたしの体は、そういう種類のものにはならなかった。
人はきれいなものが好きだ。みんなきれいなものにさわりたいし見ていたいし、できれば自分だってそうなりたい。きれいなものには価値がある。しかしそのきれいさに縁がない人間がいるのだ。
わたしにも若いときはあった。でも、わたしがきれいだったことはない。最初から縁のないものをどうやって自分のなかに見つけたり、求めたりすることができるだろう。美しい顔、きれいな肌。みんなが羨ましがるような、かたちの良い、いやらしい胸。わたしには最初から関係がない。だからわたしはすぐに、自分の体について考えることをやめてしまったのかもしれない。
巻子はどうなんやろう。豊胸手術をして胸を大きくしたい、乳首の色を薄くしたいのは、いったいなんでなんやろう。そんなことを考えてみたが、しかしとくに理由があるわけではないんだろう。人がきれいさを求めることに理由なんて要らないのだから。
きれいさとは、良さ。良さとは、幸せにつながるもの。幸せにはさまざまな定義があるだろうけれど、生きている人間はみんな、意識的にせよ無意識にせよ、自分にとっての、何かしらの幸せを求めている。どうしようもなく死にたい人でさえ、死という幸せを求めている。
自分というものを中断したいという幸せを求めている。幸せとはそれ以上を分けて考えることのできない、人間の最小にして最大の動機にして答えなのだから、「幸せになりたい」という気持ちそのものが理由なのだと思う。でもわからない。もしかしたら何かもっと、巻子には幸せなんていう漠然としたものじゃなくて、何か具体的な理由があるのかもしれない。
お知らせ
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