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「一人コント〜! 学校あるあるネタ!!」
そう指示をされ、挙手をする。
自信満々で立ち上がる。
「朝礼中に飛行機が来ちゃって話を中断する校長先生のマネやりま〜す!」
“エェ〜、もうすぐ、夏休みです。ついつい、かき氷の食べすぎで……
キィ——ン (全力で飛行機を見上げるしぐさ)”
全員にポカーンとされた。
誰にも笑ってもらえなかった。
「そんな音の飛行機来ることある?」って言われた。
東京に引っ越したばかりで、知らなかった。
朝礼が中断になるくらい、会話も電話も続けられないくらい、ものすごい轟音で空を貫く軍用機の下で育つのが日本の“普通”……とは限らないんだってことを。
わたしは、米軍基地のまちに生まれた。
……と言った瞬間、「パヨクだ!」とかって身構える人もいるんだと思う。あと、「なんか怒られる?」って記事を閉じたくなる人も。
でも……それは覚悟しつつも、読んでくださるあなたには、書いておきたい。
義務教育で英語が必須になり、企業でも英語手当が出たりするこの島で、日本語育ちのわたしが、英語という言語といかに向き合ってきたかを、書いておきたい。
英語を“学ばせられる”のではなく、自分の意思をもって“学ぶ”という実感を、持って欲しいと思うから。
2019年の日本で。
いいじゃん、いいじゃん、神奈川じゃん。
1987年の神奈川に生まれた。
厚木に、座間に、横須賀に。
神奈川は黒船を迎え、米軍のジープを迎え、やがて米軍基地を迎えたまちだ。
ヨチヨチで公園に遊びに行くと、「基地の子」がいた。幼いわたしは、わたしと違う目や髪の色をして、わたしと違う言葉を話す子を、「基地の子」だと認識していた。「基地の子」はわたしに何か話しかけた。何もわからなかった。大人たちがわたしを見ていた。わたしは、「かしこい子でいなければならない」、と思った。
「イエス、イエス」
一生懸命にうなずいた。「あの子小さいのに英語しゃべってる」。わたしにわかる言葉で大人が褒めてくれた。いい子になれたと思った。「基地の子」は、わたしにわからない言葉でしゃべり続けた。
「イエス、イエス」
一生懸命にうなずき続けた。「基地の子」は変な顔をした。たぶんこう思ったんだろう。「こいつ、イエスしか言わないな」。基地の子はすべり台に走っていった。わたしはあとを追った。それは、「基地の子とすべり台で遊びたいから」、じゃなかった。「英語がしゃべれていないことがバレると大人に愛してもらえないと思ったから」、だった。
女は英語を強いた。男は英語を禁じた。
それがわたしの目に見えていた光景だった。
まわりの女たちはこう言っていた。
「あまり稼げないけど、英語の勉強が生きがいなの」
「好きな洋楽歌手の新曲の歌詞が全部わかったの、嬉しい」
「子どものうちから英語やんないとネイティブな発音ができなくなるよ」
まわりの男たちはこう言っていた。
「たいした金にもならないのに」
「主婦はいいな、俺が仕事の間に優雅に英会話教室か」
「子どものうちから英語なんかやらせると日本語がおかしくなるぞ」
今ならこれが、幼いわたしの目に見えていた光景に過ぎないとわかる。男性英語教師も、女性の反英語主義者(とでもいうのだろうか)も、そもそも男性/女性の単純な二分法に当てはまらない人もいるということがわかる。けれども子どもの頃はわからなかった。わたしは大人の顔色を伺い、女の前ではABCカードで遊んだ。男の前では日本語の本を読んだ。
中学校に入った。
英語の勉強が始まるのが嬉しかった。勉強しても良いという許可が得られた気がした。
KenとかJohnとかの「I’m from New York」を、精一杯、「基地の子」が言うみたいに音読した。けれど、なぜだろう。英語の先生が出ていったあと、クラスの子はわたしにこう言うのだった。
「チョづいてんじゃねーよ」
“チョづく”とは“調子に乗る”という意味。やがてわたしは空気を読んだ。「基地の子」でないわたしには、ここ「基地の外」で、「アイム・フロム・ニューヨーク。」みたいなカタカナ発音しか許されないのだ、ということに。
「オブラディ、オブラダ、ライフゴーズオーン、オー!」
許される範囲内の発音でママさんコーラスが歌う。
浮かない、うますぎない、“日本人らしい”発音で。
基地の皆さんとの国際交流のために。
「la-la-la-la, LAIFU goes on !」
米兵がジャパニーズママさんを真似る。手を叩いて爆笑する。
悪気がないのもわかる。でもあんなジョーク、わかりたくなかった。
英語がわからなければよかったのにと思った。
あいつらに言い返すのになんで英語で言ってやんないといけないんだと思った。
英語なんか学んでやるもんか、と思った。
米兵ども、日本人の発音を笑いやがって、てめえに日本語ができんのか。
やってみろ。ふざけるな。お前らの言語で「ちんぷんかんぷん」っていうのを、「It’s all Greek to me」,「全部ギリシャ語に聞こえる」って言うらしいな。じゃあ、見てろ。ギリシャ語を勉強してやる!
お年玉でギリシャ語教本を買い、ピカチュウのノートでひとり学んだ。インターネットでギリシャの人を探して、ギリシャ語でメールを出した。
「ミラテ・エリニカ?カタラベネテ・ヤポニカ?(あなた、ギリシャ語できるの?日本語がわかるの?)」
米兵に笑われても、そう言い返してやる想像をするだけで胸がスッとした。実際に言い返す勇気はなかったけど。みんな超でけえし。ゴリマッチョだし。
帰国子女と留学生だらけの高校に進んだ。
「横浜は栄えある港(中略)/見晴るかす港の景色に/世界に翔ける翼よ育て」
(神奈川総合高校校歌)
モンゴル、中国、韓国、フランス、イギリス、アメリカ、あらゆる土地にあらゆる意味でルーツを持つ同世代がクラスメイトになった。同世代だけじゃない。30代とか60代とかの、社会人聴講生たちとも机を並べることになった。
誰ひとり、モンゴルから来たBちゃんの日本語の発音を笑わなかった。
誰ひとり、定年退職後に英語を学ぶYさんのカタカナ英語を笑わなかった。
やっと、学べた。一般に「ネイティブ」と言われる発音がアメリカの一部地域のものであるに過ぎないこと。日本語で「英語」と呼ばれる言語が実質アメリカ語であるにかかわらずなぜ「英語」と呼ばれるのか、その歴史的経緯。英語・日本語・フランス語といった旧帝国主義国の言語が少数言語を滅ぼしていったこと。政府によって「標準語」と定められた範囲の外側にある言葉が「方言」として追いやられていったこと。
「英語ができなくちゃ大人に評価されない」と思ったわたしは、「なぜ英語ができなくちゃ大人に評価されないのか」という社会構造から学び直すことでやっと解放された。「みんなと同じカタカナ発音」を強いられない学校に入学して、やっと、学ぶことができたのだ。
けれど……。
じゃあなぜ、わたしのギリシャ語には高校の成績がつかないの?
難しいこと言ったって、結局、進学も就活も英語力を見られるじゃん。
英語でジョークを交わし合うクラスメイトに、わたしは激しい劣等感を持った。日本の大学入試科目に英語があることも嫌になった。わたしは進学・就職ルートを外れ、フリーターになり、バイト代でギリシャ語の教室に通った。でもバイト先でもやっぱり、米兵が来るし、「正直ね、高卒を正社員にした前例はないのよ」って言われるし、役職についてるのほぼ男性だし、パンプスで立ちっぱなしつれえし、もうマジで、英語が話せないと、ほんと、英語でも話せないと、どうしようもねえじゃん、と、思った。
詰んでみてわかった。
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