夏物語 第一部

生きていかなあかんのは、しんどいことです

豊胸手術について考えぬき、シリコンジェルを入れたいと巻子はいう。両胸で150万円。150万円は高い。高いというよりはありえない。こっちのパンフにある、ヒアロルン酸はあかんの?――。芥川賞受賞作『乳と卵』の登場人物たちが、あらたに織りなす大長編『夏物語』。7月11日の発売を前に、第一部を全文公開。この物語には、人が生まれて生きて、そしていなくなることの、すべてがある。(平日毎日更新)

PHOTO:SHINTO TAKESHI

第10回 生きていかなあかんのは、しんどいことです

 わたしが示したパンフレットを巻子はすでに熟読していたようで、ちょっとの淀みもなくそらで説明してみせた。

「そこに書いてる脂肪注入っていうのも、もともとが自分の体にあるもんやから安全やってゆうねんけど、体に何個も穴あけなあかんし、ぶっとい針っていうか筒みたいなん入れなあかんし、かなりの負担になるんやな。時間もかかるし麻酔も深いし、それにこの手術って半端ないねん。道路砕くときの機械あるやろ、あんな感じで人の体が工事現場になるみたいなあんばいや。こわい事故も多いしたまに死んでる。それにわたし」巻子はちょっと情けないような顔をして、笑ってみせた。「おかげさまで余分な肉、なくなったしなあ」

 この数ヶ月の電話で雰囲気はつかめていたはずだけれど、こうして豊胸手術について話しつづける巻子を実際に目のまえにすると、何とも言えない、やるせなさのようなものを感じることになった。それはなんというか—駅で、病院で、道端で相手がいてもいなくてもしゃべりつづける人を少し離れたところから眺めているときに感じるような感情で、泡をぷっぷっと飛ばしながら話をつづける巻子をみていると、そんなどことなく淋しいような暗いような気持ちになった。

 巻子と巻子の話に興味がないわけでも、そして親身になっていないわけでも決してないのに、それとはまたべつの同情のような気持ちで巻子をみている自分に気がついて、そのことに後ろめたさを感じた。わたしは無意識のうちに爪先で唇の皮をむいており、舐めるとかすかに血の味がした。

「そうそう、それからこれは大事なことやねんけどシリコンを入れるとこにもふたつあって、筋肉もあるやん胸の脂肪の下にあるねんけど、筋肉の下の場合は、ぱっと見はばれにくいねん、やっぱ下にあるから底あげっていうか、下に入れるから。

 で、もいっこはもう一段浅い部分、乳腺の下に入れるやつやねんけど、こっちは筋肉の下に比べて手術じたいは体力も手間もかからんけど、わたしみたいな痩せ型にはむいてない場合が多いよな、ほれ、トイレのすっぽんで吸いぬいたみたいにまるく飛びだしてる人おるやん? 見たことない? ある? ない? ある? 体にまったく肉がなくて、みるからにそこだけ飛びでてる感じの。あれはちょっとな。ばればれやし、あれはないから。やっぱり覚悟決めて筋肉の下いこかなって、今のところは思ってる」


◯ もし、わたしに生理がきたら。それから毎月、それがなくなるまで何十年も股から血がでることになって、それはすごいおそろしい。それは自分でとめられず、家にもナプキンはないし、それを考えるとブルーになる。

 もしも生理がきてもお母さんにはいうつもりないし、ぜったいに隠して生きていく。だいたい本のなかに初潮を迎えた(←迎えるって勝手にきただけやろ)女の子を主人公にした本があって、読んでみたら、そのなかで、これでわたしもいつかお母さんになれるんだわ、感動、みたいな、お母さん、わたしを生んでくれてありがとう、とか、命のリレーありがとう、みたいなシーンがあって、びっくりしすぎて二度見した。

 本のなかではみんな生理をよろこんで、にっこにこでお母さんに相談して、おかあさんもにっこにこであなたも一人前の女ね、おめでとう、とか。

 じっさいにクラスでも家族みんなに報告して、お赤飯たいたとか食べたとかきいたことあるけど、それはすごすぎる。だいたい本に書かれてる生理は、なんかいい感じに書かれすぎてるような気がする。これを読んだ人に、生理をまだしらん人に、生理ってこういうもんやからこう思いなさいよってことのような気がする。

 こないだも学校で移動んとき、あれは誰やったか、女に生まれてきたからにはぜったいにいつか子どもは生みたい、と言ってた。たんにあそこから血がでるってことが、女になる、ってことになって、女としていのちを生む、とかでっかい気持ちになれるんはなんでやねん。そして、それがほんまにいいことやってそのまま思えるのは、なんでやろ。わたしはそうは思えんくて、それがこの厭、の原因のような気がしてる。こういう本とかを読まされて、そういうもんやってことに、されてるだけじゃないのか。

 わたしは勝手におなかが減ったり、勝手に生理になったりするような体がなんでかここにあって、んでなかに、とじこめられてるって感じる。んで生まれてきたら最後、生きて、ごはんを食べつづけて、お金をかせぎつづけて、生きていかなあかんのは、しんどいことです。お母さんを見ていたら、毎日を働きまくっても毎日しんどく、なんで、と思ってしまう。

 これいっこだけでも大変なことやのに、そのなかからまたべつの体をだすのは、なんで。そんなことは想像もできひんし、そういうことがほんまにみんな、素晴らしいことやって、自分でちゃんと考えてほんまにそう思ってるんですかね。ひとりでおるとき、これについて考えるとブルーになる。だから、わたしにとっていいことじゃないのはたしかやと思う。

 生理がくるってことは受精できるってことで、それは妊娠。妊娠というのは、こんなふうに、食べたり考えたりする人間がふえるということ。そのことを思うと、絶望的な、大げさな気分になってしまう。ぜったいに、子どもなんか生まないとわたしは思う。

緑子


お知らせ
本日発売の「文學界」8月号、特集は「川上未映子 真夏の出来事」。新作『夏物語』についてたっぷり語ったインタビュー(聞き手・鴻巣友季子さん)の他、執筆陣は桐野夏生さん、永井均さん、村上春樹さん、青柳いづみさん、江國香織さん、野崎歓さん、荒川洋治さん、岸政彦さんほか。豪華保存版です!

「川上未映子さん トーク&サイン会 『反出生主義は可能か~シオラン、ベネター、善百合子』」《ゲスト・永井均さん》8月3日14時から、丸善・丸の内本店 3F日経セミナールームにて

人が人を生み、つくること。それは善なのか、悪なのか—。『夏物語』で、この世界へ生まれてくることの意味を読む者に深く問いかける川上未映子さん。哲学者の永井均先生との対話を通じて反出生主義をめぐる議論、存在することの善悪の根源に迫ります(参加方法はこちら)。

『夏物語』刊行を記念して、川上未映子さんのサイン会が開催されます! 【大阪】7月13日14時から、紀伊國屋書店 梅田本店にて(参加方法はこちら)。【東京】7月26日18時半から、ジュンク堂書店 池袋本店にて(参加方法はこちら)。

人生のすべてを大きく包み込む、泣き笑いの大長編

夏物語

川上 未映子
文藝春秋
2019-07-11

この連載について

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夏物語 第一部

川上未映子

芥川賞受賞作『乳と卵』の登場人物たちが、あらたに織りなす大長編『夏物語』。7月11日の発売を前に、第一部を全文公開。この物語には、人が生まれて生きて、そしていなくなることの、すべてがある。(平日毎日更新)

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