PHOTO:SHINTO TAKESHI
第5回 「あんた、シャネルて知ってるか」
巻子は老けていた。
もちろん加齢によって人が老いてゆくことは当然のことではあるのだけれど、今年四十歳になる巻子は、「今年、五十三歳」と言われても「そうですか」とすんなり納得してしまうくらいに、それはもう見事に老けこんでいるのだった。
もともと肉づきのよいほうではなかったけれど、腕も脚も、腰まわりも、わたしが知っている巻子よりもずいぶんはっきりと痩せていた。あるいはそれは巻子の着ている服が余計にそう思わせているのかもしれなかった。
巻子は二十代の女の子が着ていてもおかしくないような柄もののティーシャツを着て、やはり若者が穿くようなローライズのぴっちりしたジーパンに、五センチはあろうかというピンクのミュールを履いていた。後ろから体型だけ見ると若くみえるけれどふりかえるとわりにぎょっとしてしまう、あの最近よく見るタイプの人になっていた。
しかし着ているものとのギャップはさておいても、体も顔も確実にひとまわりは小さくなっており、顔色もどこか冴えないようだ。黄色く変色している差し歯がやけに大きく飛びだしてみえ、根っこの金属のせいで歯茎が黒ずんでみえた。
パーマがとれかかってカラーもすっかり退色している髪の毛の量は少なくなり、汗に光る頭頂部はしっかり地肌が見えている。厚めに塗ったファンデーションは肌にあっておらず、白浮きしていて皺っぽさが余計にめだった。笑うたびに首の筋がつかめそうなほどに浮きでて、まぶたはすっかり落ちくぼんでしまっていた。
それは、どうしたってわたしにある時期の母親を思いださせた。年をとった娘が自然に母親に似てきただけなのか、それとも、かつて母親の身体に起きたことが巻子にも起ころうとしているせいで似たように感じるのかはわからなかった。わたしは何度も「どこか悪いところはないのか、検診には行っているのか」と訊いてしまいそうになったけれど、もしかしたら本人も気にしているのかもしれないと思い直し、そのことにはふれないでおいた。
けれどそんなわたしの心配をよそに、巻子は元気だった。黙りこんでいる緑子との関係にも慣れた様子で、どんなに無視されてもかまわずに明るく話しかけ、上機嫌であれやこれやと、何でもないことをわたしたちふたりにしゃべりつづけた。
「巻ちゃん、仕事はいつまで休めるん」
「今日入れて、三日」
「すぐやな」
「今日泊まって、明日泊まって、あさって帰って、夜は仕事」
「忙しいん、最近。どう」
「暇やなー」と巻子は歯の隙間をちゅっと鳴らして、あかんわ、というような顔をしてみせた。「まわり、けっこう潰れていってるわ」
巻子の職業はホステスだけれど、しかしホステスとひとくちに言ってもいろいろだ。ピンキリというと言葉が悪いがそういうことで、大阪にも腐るほどある飲み屋街のその所在地をきくだけで、客とかホステスとか店のレベルとか、そのほかだいたいのことがわかる。
巻子の働いているスナックは、大阪の笑橋という場所にある。わたしたち親子がコミばあのところに夜逃げしてから、三人でずっと働いてきた街だ。高級なものとはいっさい縁がなく、飲み屋街ぜんたいがこう、茶色に変色しながらかたむいているような雑多な密集地帯である。
一杯飲み屋、立ち食いそば、立ち食い定食屋、喫茶店。ラブホテルというよりはラブ旅館、みたいな廃墟のような一軒家。電車みたいに細ながい造りの焼肉屋、冗談みたいな煙にまかれているもつ焼き屋に、いぼ痔と冷え性の文字が大きくひとつの看板に掲げられてる薬屋。店と店のあいだには少しの隙間もなく、たとえばうなぎ屋の隣にテレホンクラブ、不動産屋の隣に風俗店、びかびかした電飾と幟のはためくパチンコ屋。店主がいるのを見たこともない判子屋に、何時であっても薄暗く、どの角度からみても不気味で不吉なゲームセンターなんかが、ところ狭しとひしめいている。
それらの店に出入りする人たち、ただ通りすぎる人たちのほかには、公衆電話のまえでうずくまったまま動かなかったり、六十は余裕で超えているようにみえる熟女が二千円でダンスできますと客引きをしていたり、浮浪者や酔っ払いはもちろんのこと、じつにいろいろな人がいる。よく言えば人懐っこくて活気があり、見たままを言えばがらの悪いこの街の、夕方から深夜までマイクのエコーがわんわん響きわたる雑居ビルの三階にあるスナックで、巻子は夜の七時から十二時頃まで働いている。
カウンターが数席とボックス席と呼ばれるソファのような囲いがいくつかあり、十五人も入れば満席になるこの店で、一晩でひとり一万円という勘定がとれればたいしたものだ。売上をあげるためにホステスのほうもいろんなものを注文するのが暗黙の了解になっている。
安い酒を一緒に飲んでもしょうがないので、奨励されているのはいくら飲んでも酔わないウーロン茶だ。小さな缶ひとつで、三百円。もちろん水で煮だして冷やしたものを使いまわしの缶に入れ、「いまプルタブひきました」みたいな顔でしれっとテーブルにもっていく。
水分でお腹がだぶだぶになったら、つぎは食べもの。ウインナ焼きとか卵焼きとかオイルサーディンとか唐揚げとか、酒のつまみというよりは弁当のおかずみたいなものを、お腹すいたわあ、といって客に頼んで注文する。そのあとはカラオケ。一曲百円の歌も積もれば札に変わるわけで、ホステスたちは、老いも若きも歌好きも、うなだれるくらいの音痴でも、歌える歌をとにかく歌う。しかしそんなふうに喉をからして塩分と水分の過剰摂取でむくみっぱなしの体でがんばっても、客はだいたいが五千円足らずを支払う程度で帰ってしまう。
巻子の店のママは、まるまると太った背の低い、明るい雰囲気のする女性で、齢は五十代半ばあたり。わたしも一度だけ会ったことがある。染めているのか脱色なのかはわからない、金髪というよりは黄色の髪を後頭部の高いところでひっつめにし、肉のついた短い指でショートホープを挟み、面接で初めて会った巻子にこう言った。
「あんた、シャネルて知ってるか」
「はい、服のブランドですよね」巻子は答えた。
「せや」とママは鼻から煙を吐きだしながら言った。「ええやろ、あれ」
ママが顎で示した壁にはシャネルのスカーフが二枚、プラスティックの額縁ケースのようなものに入れられてポスターみたいに飾られていた。それが黄味がかったスポットライトに照らされている。
「うちは」とママが目を細めながら言った。「シャネル、すっきゃわ」
「せやから、ここのお店、シャネルゆうんですね」巻子は壁のスカーフを眺めながら言った。
「せや」とママは言った。「シャネルは女の夢やで。すっとしてな。高いけどな。イヤリング見てみ」ママはまるい顎を傾けて、巻子にちらっと耳を見せた。スナックの照明の下でもかなり年季が入っているとわかる鈍い金色の玉に、巻子も見たことのあるシャネルのマークが浮き彫りになっている。
洗面所にかかってるタオル、厚紙製のコースター、店内に設置された電話のブースのガラスのドアに貼りまくられたステッカー、名刺、マット、マグカップにいたるまで、店内にはシャネルのロゴのついたものがあちこちに目についたけれど、ママによるとそれはスーパーコピーと呼ばれる偽物で、鶴橋やミナミの露店なんかに通って時間をかけて一生懸命こつこつ集めたものらしい。シャネルのことなど何も知らない巻子が見ても一発でばったもんとわかるような出来ではあるけれど、ママは並ならぬ愛着をもって日々コレクションを増やしつづけている。
ママが毎日必ずつけるバレッタとイヤリングだけは数少ない本物で、店を始めるときの験かつぎに清水購入したものらしい。どうやらママはシャネルが好きというよりは、その音の響きとマークのインパクトのみに心酔しているらしく、店の若い女の子に「ママ、シャネルてなに人ですか」と訊かれて「アメリカ人や」と答えてるのを巻子は聞いたことがあり、どうやらママは白人はみんなアメリカ人、くらいに思っている節があるようだった。
「ママさん元気にしてはんの」
「元気元気。まあ、店のほうはいろいろあるけど」
お知らせ
パートナーなしの妊娠、出産を目指す夏子のまえに現れた、精子提供で生まれ「父の顔」を知らない逢沢潤——生命の意味をめぐる真摯な問いを、切ない詩情と泣き笑いに満ちた極上の筆致で描く、21世紀の世界文学。『夏物語』刊行を記念して、川上未映子さんのサイン会が開催されます! 7月13日14時から、紀伊國屋書店梅田本店にて。参加方法は、こちらをご覧ください。