ワタナベアニです。写真を撮り始めた10年前くらいに、あるお寺に行きました。聖徳太子の少年期の像があったので何となく撮りましたが、あとから見るとその表情やたたずまいのよさに吸い込まれるようでした。
奥の壁には光が届かず、像には美しい自然光が当たっています。実はこの一枚が、今でも続けている黒バックでの人物撮影のルーツです。メインになる人の繊細な表情に、写真を見る人をいかに集中させるか。
「背景に目がいかないよう、完全な黒にする」、これは肖像画の時代からあった方法なので、別に新しくも何ともありません。ただ、自分が一番やりたいことにフィットする撮り方だと感じたのです。
それを続けていると、背景を黒バックにするかしないか、という大きなふたつの選択肢がまず発生します。黒バックにしない場合は、「どうしてこの背景を選んだか」がより明確になる気がしています。ただなんとなく後ろにモノが写った、ではいい写真にはなりません。
たとえばアジサイがあれば、6月に撮った写真だったな、と思い出すことができます。
それとは少し話が違いますが、この聖徳太子は生きていません。でもポートレートのように撮った。すべてをポートレートだと思って撮ると、壁の絵も、製図板も、手だけでもそうなります。
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